2021年12月12日(日)礼拝説教 ルカの福音書2章1-20節「羊飼いへの知らせ」

<子どもたちへ>赤松由里子師

 アドベントの3週目の日曜日になりました。今日はいよいよイエス様ご誕生、世界で最初のクリスマスのお話です。
 この人たちは誰でしょう?女の人はマリア。お腹が大きくなっています。男の人は大工のヨセフです。マリアが神様の御子を身ごもったまま、2人は結婚したのでした。2人はローマ皇帝が出した命令に従って、先祖の町ベツレヘムに向かって旅をしています。役所に自分たちの名前を登録するのです。「大丈夫かいマリア。苦しくないかい?」ヨセフがマリアを振り返って聞きました。もうすぐ赤ちゃんが生まれるのに遠い旅をしているのですから大変です。「何とか大丈夫よ、ヨセフ」。2人は何日もかかってようやくベツレヘムにつきました。
 ところが、町はとっても混んでいます。旅人がいっぱいいて、泊まれる家も宿もありませんでした。ヨセフは町の人に頼みました。「妻のお腹には赤ちゃんがいるのです。どこでもいいので泊めてください。」2人はこうして家畜小屋に泊めてもらいました。
 その夜、マリアは赤ちゃんを産みました。「ほぎゃあ、ほぎゃあ!」み使いの教えてくれた通りの元気な男の子です。この赤ちゃんこそ、そう、イエス様なのです。ヨセフは「飼い葉おけ」という動物のエサ入れにわらを敷いて、赤ちゃんのイエス様を寝かせました。

 そのころ、ベツレヘムの野原で羊飼いたちが羊の番をしていました。星がキラキラ輝く夜でした。熊やオオカミが羊を襲ってくることがあるので、徹夜で見守っています。すると突然まぶしい光が輝いて、み使いが現れました。「何だ何だ?」羊飼いたちは、びっくりして震えあがりました。み使いが言いました。「怖がることはありません。あなたたちに良い知らせを届けに来ました。」こうしてみ使いが語ったのが今日のみことばです。一緒に読んでみましょう。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」み使いはまた、赤ちゃんが布にくるまれて飼い葉おけに寝ています、とも教えてくれました。するとたちまち空一面にみ使いが現れて、神様を賛美しました。「天では神様に栄光がありますように。地上で平和が、みこころにかなう人たちにありますように。」こうしてみ使いは離れていき、あたりはまた真っ暗になりました。
 羊飼いたちは顔を見合わせて互いに言いました。「ベツレヘムに行って、み使いが知らせてくれたことを見てこよう!」
 羊飼いたちはベツレヘムにつくと、家畜小屋を一軒一軒見て回りました。そしてついに、飼い葉おけに寝ている赤ちゃんをみつけました。「み使いの話の通りだ!」「この赤ちゃんが救い主なんだね!」そういうと、心から神様を礼拝しました。これが世界で最初のクリスマスに起こったことです。

 皆さん、神様は救い主イエス様のご誕生を、羊飼いたちに一番に知らせてくださいました。これは、王様や学者やえらい人たちではなく、ごく普通の(いや人から見下されているような)立場の人を心にかけて下さっているしるしです。また、イエス様がお城ではなく動物のにおいのする粗末な家畜小屋で生まれてくださったのは、どんな人でも救い主のもとに近づくことが出来るためです。イエス様が生まれてくださったのは、罪ある私たちがゆるされるためです。そのために神様は何百年も前から預言をして、御子をお送りくださいました。私たちはどうでしょうか?イエス様をお迎えする心は整っているでしょうか?心を開いてイエス様をお迎えしましょう。羊飼いたちは、ケーキにプレゼント、クリスマスツリーやごちそうがなくても、心から喜びに包まれていました。神様に愛されて、罪からも救ってもらえる、とわかると、私たちは本当の喜びを持つことができるのです。今年のクリスマス、どうぞこの本当の喜びに溢れたものになりますように。

<祈り>
「神様、救い主イエス様が預言の通り生まれてこられたことを感謝します。また家畜小屋に生まれ、羊飼いたちに最初に知らせて下さったことも、感謝いたします。私たちもイエス様を心にお迎えして、羊飼いのように喜びながら歩んでいきたいです。神様のそば近くを、決して離れないで歩ませてください。御名によってお祈りいたします。アーメン。」

「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」 「羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」      ルカの福音書2章11節、20節

<適用>赤松勇二師

 皆さんが、記憶に残っている中で一番最初にクリスマスをお祝いしたのはいつだったでしょうか?もしかしたら、それは、教会に来る前のことだったかもしれません。では、教会に通うようになってから初めて祝ったクリスマスはいつだったでしょうか。その時のことを覚えているでしょうか。
 私は、教会でのクリスマスについては、「ホワイトクリスマス」を迎えた時のことを鮮明に覚えています。雪国である沼田教会のクリスマス、ある年の12月25日、朝から雪が降り、その夜は、ぼた雪が降る中でのクリスマス祝会となりました。
 世界で最初のクリスマスは、とても静かなものとなりましたが、大きな喜びに包まれたものとなりました。そこには、神様の愛と、神様への感謝と賛美が溢れていました。私たちが、クリスマスの賛美を歌うのは、クリスマスの時期であり比較的短い期間となります。アドベント過ごしている今、救い主イエス様の誕生を喜びたたえる、主への賛美を聞き、歌い、神様を礼拝して過ごしましょう。
 救い主誕生のその日、天でも地でも賛美が溢れました。

Ⅰ;天の軍勢の礼拝

 まず、賛美を捧げたのは、御使いと天の軍勢でした。それは天に響く賛美となり、天に大きな喜びが沸き起こりました。ルカは、その様子を記しています。
 イエス様が、ベツレヘムの家畜小屋でお生まれになった日、羊飼いたちが野宿で夜番をしていました。静かな夜を過ごしていた羊飼いの所に突然、御使いが現れ素晴らしい知らせが伝えられました。ルカ2章11節の言葉です。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」世界で一番最初に救い主誕生の知らせを聞いたのが「羊飼い」というのは旧約聖書からの流れを思い出させます。ダビデ王は、何の仕事をしていたでしょうか。ダビデ王は「羊飼い」をしていました。一介の羊飼いがイスラエルの王に選ばれたのです。そして今、ダビデの家系に救い主イエス様がお生まれになり、羊飼いがその知らせを受けているのです。

 御使いが、羊飼いに救い主誕生を知らせると、天の軍勢が現れて、神様を賛美しました。この天の軍勢の賛美は、救い主がもたらす恵みを歌っています。クリスマスの賛美の中でこの14節の言葉が使われています。どの賛美か分かるでしょうか。「荒野の果てに(君なるイエスは)」の折り返しの部分「グロリア・イン・エクシェルシス・デオ」というラテン語です。「いと高き所に、栄光が、神にあるように」の部分が歌われています。救い主は、神様の栄光を現すお方です。イエス様は栄光を神様に帰し、神様の栄光を現し、神様のみわざを行いました。イエス様は、十字架の救いを通して、神様の愛を示し、私たちを主の栄光で満たしてくださるのです。
 さらに天の軍勢は、「地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように」と歌いました。イスラエルでは、毎日の挨拶(朝でも昼でも夜でも)で「シャローム」を使っています。ですから、「シャローム」を覚えているとイスラエルでは、人とのコミュニケーションを取れます。この「平和(シャローム)」は、神様から与えられる平和です。イザヤは、救い主に関する預言の中で「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は、『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる(イザヤ9:6)」と預言しました。その通りにイエス様は、私たちに平和を与えてくださいます。

 この平和は、「みこころにかなう人々」に与えられます。これは、「神に喜ばれる人」という意味もある言葉です。ですから「みこころにかなう人」と言うのは、イエス様を信じ、神様を信じる人、神様の喜ばれることを行う人という意味があります。しかしそれと共に、真の平和を求める全ての人という事も出来ます。私たちは、誰もが平和を求めます。平和を求めているのだけれども、私たちの社会は、争いが絶えることがありません。それは何故なのでしょうか。様々な理由が考えられるでしょうが、それぞれが自分の好む平和、自分の方法での平和を求めているからではないでしょうか。そんな私たちに、御使いの賛美は、「平和」をどこに求めたら良いのかを教えくれます。私たちは、救い主イエス様による平和を求めることが大切なのです。イエス様は、私たちの心に「シャローム(神の平和)」を与え、満たし、喜びを与えてくださいます。あなたは、この「平和」を持っているでしょうか。あなたの心は、神様からの平和で満たされ、神様からの喜びがあるでしょうか。神様は、あなたの心に「平和」を与え、救いをもたらしてくださいます。
 私たちは、天の軍勢と共に「いと高き所で、栄光が神にあるように、地の上に、平和が、みこころにかなう人々にあるように」と賛美し、主を礼拝しましょう。

Ⅱ;羊飼いたちの礼拝

 救い主イエス様がお生まれになった日、御使いたちの次に神様を賛美したのは、野宿で夜番をしながら羊たちを守っていた羊飼いたちでした。
 「羊飼い」と言うのは、ユダヤ人たちが神様にささげるための羊を放牧する人たちです。その点では、羊飼いという職業がないとユダヤ人たちは困ってしまうわけです。けれども羊飼いたちは、ユダヤ人の社会の中で蔑まれていた人たちでした。羊飼いは、ユダヤ人の律法にある通りに、「安息日規定」を守ることが出来ませんでした。羊は、安息日だから世話をしないでよいという事はありません。羊飼いは、安息日だからと言って羊の世話を休むことは出来ないのです。それだけではなく、どうも羊飼いたちは、ユダヤ人の社会の中で「他の人のものを奪い取る人たち」だと思われていたようなのです。裁判でも証人となる資格がなく、誰も羊飼いの言葉には耳を傾けることはない状況にありました。だから羊飼いたちは、ユダヤ人の社会の中で見下されていた人たちであり、人権が認められていない人たちだったのです。神様は、ユダヤ人の社会では見捨てられていたような人々に目を留め、救いの知らせをしてくださったのです。御使いは言いました。「今日ダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです(ルカ2:11)。」。この日、私のそして、あなたの救い主がお生まれになりました。どこかの誰かのためではなく、救い主は、「あなたがたのために」と言われているのです。救い主は、「あなたのために」お生まれになったのです。

 では、そもそもどうして神の御子イエス様は、人となってお生まれくださったのでしょうか。しかもその方法は、聖霊によって処女マリアが身ごもるという方法だったのです。救い主は、私たち人類のすべての罪を背負う必要がありました。罪の身代わりになるためには、罪があってはいけません。罪のない人が、罪人の代わりとなることが出来るのです。それは、普通の人間では無理な事です。人は、誰もが生まれながらにして罪人であり、神様の裁きが定められているからです。神様の力によってマリアが身ごもったという事は、産まれてくる子が人間の罪の性質がまったくない状態であり、神であるという事なのです。でも産まれて来る子は、人間でなくてはいけません。人間でないと人間の代わりになることは出来ないからです。イエス様が、マリアの胎に宿ったということは、産まれて来る子が、完全な人間であるという事なのです。私たちの救い主イエス様は、完全に罪のない神であり、同時に救い主イエス様は、私たちと同じように肉体を持つ完全な人としてお生まれになったのです。

 さて、救い主誕生の知らせを聞いた羊飼いたちは、すぐに行動に移しました。羊飼いたちは、ベツレヘムに行って、手当たり次第に家畜小屋を捜しまわりました。そして飼い葉おけに寝かされている一人の赤ちゃんを見つけたのです。その光景は、御使いの知らせの通りでした。そこで羊飼いたちは、マリアとヨセフ、周りにいる人たちに御使いから聞いた事をそのまま伝えました。聞いていた人たちは驚きました。
 皆さん、羊飼いたちがどのような人たちか思い出してください。彼らは、裁判で証人となることが許されていませんでした。という事は、羊飼いの言う事は、信用されることはなく、誰も羊飼いの言葉に耳を傾けることはなかったということなのです。けれども今、彼らは、ベツレヘムで救い主誕生の知らせを伝える証し人となっているのです。神様は、羊飼いを証し人として用いてくださっているのです。しかも人々は、羊飼いの言葉を驚きをもって聞いているのです。羊飼いたちは、見聞きしたことが全部御使いの知らせの通りだったので、心から喜び神様を賛美しながら帰って行きました。

 私たちは、羊飼いたちのように喜びと感謝をもって神様を賛美しましょう。そのためには、羊飼いたちのように心を開いて、救い主イエス様を迎える必要があります。
 イエス様がお生まれになった時、「宿屋には彼らのいる場所がなかった(ルカ2:7)」と言われています。結局与えられた場所は、家畜小屋でした。イエス様は、人知れず、ベツレヘムの片すみでお生まれになりました。誰もイエス様を迎える事が出来なかったのです。人々は羊飼いの話に驚きましたが、羊飼いたちのように喜び賛美したとは書かれていません。今日、あなたの心は、イエス様を迎える備えが出来ているでしょうか。あなたの心は、イエス様がいる場所となっているでしょうか。あなたの心は、イエス様の恵みに満たされた心となっているでしょうか。イエス様は、誰もが近づける家畜小屋でお生まれになりました。それは、イエス様を求め信じる人が、誰でも分け隔てなく救いを受け、恵みを受け、喜びに満たされるという約束でもあります。
 イエス様に心満たされ、喜びと感謝をもって心からの賛美を捧げましょう。そして羊飼いたちのように、イエス様の救いの良い知らせを伝える者とならせていただきましょう。

祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。イエス様が、私たちのためにお生まれくださった事を感謝します。私たちは、心からイエス様をお迎えします。私たちの心の真ん中に来て恵みで満たしてください。
 天の軍勢が賛美したように、私たちも神様の栄光をほめたたえ、地の上に平和があるようにと賛美して歩ませてください。羊飼いたちのように喜びで満たし、主への賛美で満たしてください。また羊飼いが救いの知らせを伝えたように、私たちも救い主イエス様を証しすることが出来るように導いてください。 この祈りを救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」