2022年6月5日(日)礼拝説教 使徒の働き2章1-13節 「聖霊が臨むとき」 説教者:赤松勇二師

<子どもたちへ>

 学校では、いよいよプール開きとなりましたね。毎年決まった時期にしか入れないプールを楽しみにしていたお友達もいるでしょうか。僕が小学生の時は、放課後もプールに入ることが出来たので、授業の時間が終るのが待ち遠しかったのを覚えています。帰りの会が終ると全速力でプールに走ったものです。
 イエス様の弟子たちは、イエス様の約束された聖霊を受けるまでエルサレムで待つ時間がありました。

 イエス様は、復活された後、40日の間で何度か弟子たちにお姿を現して、イエス様の復活が確かである事を示し、弟子たちを教えられました。イエス様は、オリーブ山で弟子たちに教えられた時、突然天に上げられ、雲に包まれて見えなくなられました。その直前にイエス様がしてくださった約束が「今週の聖句」、使徒1章8節です。その時、御使いが現れてイエス様が天に上って行かれたのと、同じような有様でまたおいでになるという再臨の約束が語られました。

 弟子たちは、イエス様に言われた通り、エルサレムに戻り一か所に集まり祈っていました。イエス様が天に昇ってから10日後、イエス様の復活から50日目、弟子たちは、イエス様が約束してくださった聖霊を受ける事となりました。
 使徒2章1節には、その日が「五旬節の日」だったとあります。「五旬節」をギリシャ語では「ペンテコステ」と言います。これには、50番目、50日目という意味があります。ユダヤ人にとっては、過越しの祭りから50日目と言う意味があり、さらには、小麦の収穫を祝う感謝の祭りでもありました。この五旬節の祭りの時、多くのユダヤ人たちは、礼拝のためにエルサレムに集まって来ます。神様は、大勢の人たちが集まる時を選んでご自身のわざを行われたことになります。

 この日も弟子たちは、1か所に集まって祈っていました。すると突然、「ヒューーー、ゴーーー」と激しい風が吹いて来たような音が彼らのいた家全体に響き渡りました。先週は突然の豪雨があり、強い風の音、家がその木が揺れる音、雷の音、そして雹も降りました。とても大きな音でびっくりしました。弟子たちが祈っている時、家全体に響き渡ったのですから、壁が、窓がガタガタ揺れたのではないでしょうか。「おー何だ!」「あれ!ペテロ頭の上に何か現れているぞ」「ヨハネお前こそ」「ヤコブも、ヨハネも・・・」と集まっていた人たちはお互いを確認しました。「炎のよう舌が分かれて」その場にいた一人ひとりの上にとどまったのです。

 すると皆が、聖霊に満たされました。弟子たちは、聖霊を受けると言う出来事を、耳で聞き、目で見て、そして体で感じることが出来たのです。神様は、そのようにして、疑う余地のないほどの確かな方法を用いられました。聖霊を受けた弟子たちは、今までイエス様が語られた神の国のことを理解しました。どうしてイエス様が十字架にかかられたのか、イエス様の復活の事実も一つひとつのことが分かったのです。そしてそのことを、外に出て話しはじめました。でもちょっと町の人々の様子が変です。「さっきの物音はなんだ。いったい何が起こったんだ?」「おいあいつら朝9時だと言うのにもう酒に酔っているのか?」と集まっていた人たちは訳が分かりません。物音に驚いて集まった人たちは、弟子たちが一斉に他の国の言葉で話し出したので、ただただ、見ているだけです。

 ペテロが代表して皆に話しはじめました。「皆さん、驚くことはありません。聖霊が与えられることは、旧約聖書で預言されていることです。それよりも聞いてください。1か月ほど前に十字架につけられたイエス様は、神様が約束していた救い主です。イエス様は、確かに十字架につけられ死なれましたが、3日目によみがえったのです。それもダビデが預言していたことです。このイエス様こそ、私たちを罪から救う救い主です。」
 聞いていた人たちは、またまたびっくりです。そして皆、心を刺されて「では自分たちはどうしたら良いのだろうか?」と言い始めました。ペテロは、「罪を悔い改めて、洗礼を受けるように」と人々に勧めました。こうしてこの日、3千人もの人がイエス様を信じて洗礼を受けました。こうして教会が誕生したのです。

 今、イエス様を信じる人は、聖霊を与えられます。聖霊なる神様は、僕たちにイエス様の事、神様の事、聖書の事一つ一つ教えてくださいます。そして友だちにイエス様の事を伝える力を与えてくださいます。

祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。弟子たちに聖霊が与えられたように、僕たちに聖霊が与えらえる事を感謝します。聖霊なる神様が、僕たちを導き、教え、支えてくださることを感謝します。聖霊なる神様、僕たちの信仰を強め、イエス様に従うことが出来るように導いてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」

「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」   使徒の働き1章8節

<適用>

 さて、私たちはさらに御言葉から学びましょう。
皆さんは、一人の人の存在でその場の雰囲気が変わるという経験をしたことがあるでしょうか。俳優さんが、大御所俳優が現場に入って来るだけで、ピリッと緊張に包まれると言う話をしているのを聞くことがあります。今では、大リーグのエンジェルスというチームは、大谷選手が登板すると勝てるのではないか、二刀流で登場すると活躍するのではないかと皆が期待する雰囲気になります。私たちは、一緒にいて「ホット出来る人」とか「楽しくなる人」とかいるのではないかと思います。
 では、聖霊が私たちに臨むときそこには、どんなことが起きて来るのでしょうか。

Ⅰ;信仰の確信が与えられます

 「聖霊が臨むとき」私たちは、イエス様を救い主と信じる信仰の確信が与えられ、福音の真理を知るようになります。
 イエス様は、「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい(使徒1:4)」と言われました。弟子たちは、イエス様が聖霊のことを言った時、イエス様によってイスラエルの国が独立する時が来たと考えました。弟子たちの勘違いに対してイエス様は、その時は父なる神様がご存知であると答えます。

 さてイエス様は、弟子たちへの言葉の中で「あなたがたは聖霊によるバプテスマを授けられる(使徒1:5)」と言われました。この言葉は、「聖霊の中に入れられる(置かれる)、聖霊の中に導かれる」という意味があります。イエス様は、私たちが聖霊の支配の中に入れられ、聖霊の導きの中に生きるようになると言われたのです。この表現は、「聖霊が臨まれるとき」の別の表現のような気がします。私たちは、聖霊を受け、聖霊の支配の中に入れられるのです。その時私たちは、イエス様が言われたように福音の真理を知るようになります。

 弟子たちは、聖霊を受けたことによって、福音を正しく理解することが出来ました。それまでの弟子たちは、イエス様の話されていたことも、イエス様の十字架も復活も昇天も理解出来たわけではありません。けれども聖霊に満たされた時彼らは、その全てがはっきりと理解できたのです。弟子たちは、イエス様が確かに救い主であり、旧約聖書に預言されているようにイエス様の十字架と復活が人類の罪のためであることを知ったのです(2:22-36)。そして旧約の預言の成就として、信じる誰もが聖霊を受けることが出来ると言う事も理解しました(2:15-21)。

 弟子たちの周りには、この騒動を聞いた人々が集まりました。集まった人々は、様々の地域からエルサレムに来ていました。ですから実に多くの人々が、自分たちの国の言葉で、神様の大きなみわざ(福音)を聞いたことになります。そして聞いていた人たちは、聖霊によって、福音を理解し、受け入れ、信じることが出来たのです。

 「聖霊」と言われても良く分からないと言う人もいるでしょう。聖霊は、目に見えない守護霊のようなものではありません。単なる霊的な力でもありません。聖霊は、神様です。聖書は、父なる神、子なる神(キリスト)、聖霊なる神の三位一体の神を教えています。ですからイエス様は、聖霊について「助け主」と言っているのです。と言っても複数の神々がいるのではありません。三つで一人の神様なのです。

 この聖霊なる神様が私たちに臨むとき、私たちは、神様の言葉である聖書を理解することが出来ます。なぜなら、聖霊なる神様は、私たち一人一人に御言葉を通して救いの恵みを教えてくださるからです。私たちは、初めて聖書の話しを聞いた時、良く理解できなかったはずです。私たちは、もともと神様から離れ、イエス様を知らず、十字架の救いを理解することも罪を悔い改めて主に立ち返ることも出来ません。それは、私たちが罪に支配され、神様の恵みの中にいないからです。しかし神様は、私たちに聖霊を与えてくださいます。聖霊なる神様は、私たちの心に働き、私たちに罪を示し、悔い改めと信仰告白へと導いてくださるのです。「聖霊によるのでなければ、だれも『イエスは主です』と言うことは出来ません(Ⅰコリント12:3)。」とあるように、私たちは、聖霊なる神様の働きによってイエス様を救い主と信じる信仰へと導かれました。今も聖霊なる神様は、私たちの心のうちに働き、私たちが聖書を理解し、神様の御心を知ることが出来るように、聖書の真理を教えてくださるのです。聖霊様に導かれて歩みましょう。

Ⅱ;力が与えられます

 「聖霊が臨むとき」私たちは、力を受けます。イエス様は、「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。(使徒1:8)」と言われました。これは、聖霊を受けると力持ちなるとか、(マッチョになって)誰にも負けない筋肉を持つようになるという事ではありません。

 聖霊によって与えられる力とは、先ほども見たように、御言葉を理解し、御言葉に従う力です。私たちにとって聖書は、難しく、自分の生活とどのようなかかわりがあるのだろうかと思ってしまいます。聖書を読んでいると時々、聖書で教えられている事柄と私たちの現実がかけ離れていると感じることがあります。でも安心してください。聖霊なる神様が、その問題を解決してくださいます。私たちが、聖霊の助けを求め、聖霊の導きを祈りつつ聖書を読む時、聖霊様ご自身が私たちに御言葉を教え、理解させてくださるのです。

 聖霊によって与えられる力とは、罪に勝つ力です。罪とは、神様を信じないで、自分勝手に生きることです。そのような生き方は、罪を生み出すものとなります。パウロは、ガラテヤ5章16-23節で、罪の行いと聖霊による行いを教えています。罪の行いとは、「淫らな行い、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、憤り、党派心、分裂、分派・・・」などです。御霊による行いは、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」です。私たちは、聖霊を受けて、聖霊に満たされてはじめて、罪と悪に打ち勝つことが出来るのです。

 そして聖霊によって与えられる力とは、イエス様の事を伝道する力、知恵、能力のことです。弟子たちは、イエス様が天に上って行かれた時、すぐに伝道することが出来ませんでした。と言うか、弟子たちには、伝道する力はありませんでした。そんな弟子たちが、ペンテコステの日に180度変えられたのです。
 イエス様は、「あなたがたは力を受けます」と言われ「そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」と言われました。この「証人」という言葉には、目撃した者として真実を語ること、見聞きしたことの証人という意味があります。イエス様は「わたしの証人」と言われました。弟子たちは、イエス様と共に生活し、イエス様の教えを直接聞き、イエス様の十字架と復活を目撃しました。その証人として彼らは、世界中にイエス様の十字架の救いと言う福音を証しする使命が与えられたのです。弟子たちは、聖霊を受けて、力強くその使命を果たすことが出来ました。福音を伝道するのは、弟子たちが自力でがんばって何とかして広めることではありませんでした。福音の伝道は、聖霊なる神様によって力を与えられ、聖霊様の導きと励ましによって実行されるものなのです。
 私たちは、イエス様の福音を聞き、信じた者として、福音の証人、証し人となることが出来ます。しかし私たちは、どのように伝道できるだろうか、人々に証しするなど自分には出来ないと考えてしまいます。しかしそんなに悩む必要はありません。聖霊様が私たちに必要な知恵と力を与えてくださるのです。私たちは、ぜひとも委ねられた役目を果たしたいと願います。

 今、この聖霊は、イエス様を救い主と信じる全ての人に与えられます。ペテロが、説教の中で言っている通りです。神様は「その日わたしは、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。・・・・(使徒2:18)」と約束して下さいました。この約束が、ペンテコステの日に成就したのです。それ以降、信じる全ての人が聖霊を受けているのです。
 そのために何か、必要な事、私たちがしなければならない事があるのでしょうか。エルサレムにいた弟子たちの様子をよく見てください。彼らは、「今日は聖霊に満たされよう。そのために懸命に祈ろう」と考えていた訳ではありません。弟子たちは、何も知らなかったし、その日に起こることなど予想もしていなかったのです。私たちは、聖霊の満たしを受けるために、滝に打たれ、精神統一が必要なわけではありません。何か呪文のようなものが存在するわけでもありません。

 弟子たちは、神様の導きを求めて祈っていました。神様は、弟子たちの祈りに答えてくださったのです。そしてこのように弟子たちを祈りへと促したのも聖霊なる神様の働きであると言うことが出来ます。実は、私たちは、聖霊様の導きがあったから信仰の道知りました。私たちは、聖霊様の助けによって聖書を知ることが出来ました。そして私たちは、聖霊様の助けと導きによってイエス様の十字架の救いを信じ、自分が罪人であることを認めることが出来たのです。
 聖霊を受けて、聖霊に満たされて歩みましょう。私たちは心を静めて主の導きと助けを求めて祈りましょう。聖霊なる神様は、私たちに教え、導き、主の道を示してくださいます。
 「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」使徒の働き1章8節

祈り
 「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。今日も主の御前に進み出て礼拝できることを感謝します。ペンテコステの日に弟子たちに与えられた聖霊が、今も私たちに与えられる事を感謝します。神様、私たち一人一人の心に聖霊を注ぎ、満たしてください。聖霊なる神様、私たちの心を満たしてください。聖霊様、私たちに福音の真理を教え、救いの道を歩ませてください。そしれ聖霊なる神様、私たちが大胆に人々に福音を伝え、証しすることが出来る力を与えてください。
 コロナ禍にあって、私たちの生活や仕事を守り支えてください。新型コロナウィルス感染が一日も早く収束しますようにと願います。ロシアとウクライナとの間に平和を与えてください。世界中が神様の恵みに満たされ、平安で満たされますようにとお願いします。
 神様、私たち一人一人の今週の歩みを導いてください。この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」