<子どもたちへ>
今、カタールでは、サッカー・ワールドカップが行われています。予選で日本代表は劇的な勝利をおさめて、決勝に進みましたね。私は、それほどサッカーには詳しくありませんが、今回の日本代表はすごいと思います。今から約30年前に日本でJリーグが始まりました。この30年間の中で、多くの日本の代表選手がいて、その歴史が継承され、日本のサッカーは強くなったということでしょうか。あまり詳しくないので、この辺にしておきます。でも、今の日本代表選手の前に、多くの選手たちがいたと言うことは確かな事です。
さて、今日は、救い主イエス様の系図を中心に見て行くことにしましょう。マタイの福音書1章の最初の部分は、家系図となっています。皆にも家系図がありますよ。皆のお父さんとお母さん、その前には、「おじいさんとおばあさん」がいます。そのさらに前には、「ひいおじいさんとひいおばあさん」です。このように家系図をたどっていくと、皆の先祖が誰で、どこに住んでいたのかが何となくわかって来ます。
イエス様は、神のひとり子ですけれど、人となってこの世にお生まれになりました。その意味で、イエス様にも家系図があります。しかもマタイは、イエス様の家系図が旧約聖書に出て来るイスラエル人の先祖であるアブラハムにまでさかのぼることが出来ることを示しています。それだけではなく、アブラハムから「ダビデ王」をはじめとするイスラエルの王様につながって行きます。エルサレムが滅ぼされた後は、バビロン捕囚の時代となりますが、ダビデの家系は、途切れることなくヨセフへとつながって行きました。
皆は、教会学校でアブラハムのお話しを聞いた事があるでしょう。アブラハムの子どもの名前を憶えていますか?また最近ではバビロン捕囚の事についてお話を聞いていました。ダビデの家系の王様はだれが出て来ていたでしょうか。
神様は、アブラハムに「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。…。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。(創世記12章2-3節)」と約束されました。これは、アブラハムの子孫によって全ての人が神様からの祝福を受けることが出来ると言う約束です。神様のこの約束は、アブラハムからその子イサクに受け継がれることとなり、アブラハムの子孫への確かな約束となりました。
イサクには、ヤコブが生まれました。ヤコブには、12人の子どもが生まれ、イスラエルの12部族となりました。その中の「ユダ」がアブラハムへの約束を受け継ぐこととなりました。ユダの家系の中で、ボアズが生まれ、ボアズにオベデが生まれて、オベデにエッサイが生まれて、エッサイにダビデ王が生まれました。
神様は、ダビデにも「あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王国はとこしえまでも堅く立つ。(Ⅱサムエル7:16)」と特別な約束を与えてくださいました。これは、ダビデの王国が神様によって、ずっと続くという約束です。そしてその約束は、救い主イエス様によって完成するのです。
エルサレムが滅ぼされ、ユダヤ人たちはバビロンに捕らえ移されてしまい、人々は絶望しました。けれども神様は、アブラハムとダビデと結んだ約束をずっと守ってくださり、ダビデの家系が途切れることなく、続くようにしてくださったのです。この間、4人の女性の名前が出てきます。この女性も教会学校でお話を聞いていたと思いますよ。この女性は、異邦人として神様の祝福を受けることが出来ない人たちでした。けれども神様は、ユダヤ人以外の異邦人やすべての人たちに祝福を与える計画を持っていることを示しておられます。
こうしてダビデの家系にいるヨセフがマリアと結婚する約束をしていた時、神様は、処女マリアによる救い主誕生というみわざを行われたのです。アブラハムから始まる長い長い歴史です。途中、国が滅びるという危機的な状況もありましたが、神様は、救いの計画を進めてくださっていたのです。イエス様は、神様であるのに、人としてこの地上にお生まれになりました。それは、僕たちを罪から救うためです。僕たちが、罪赦され、神の子どもとして、神様の祝福、神様からの素晴らしいプレゼントを受け取るためです。今週の御言葉(使徒の働き13章23節)を読みましょう。
僕たちの救い主イエス・キリストの誕生を心から感謝して、お祝いしましょう。
祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様がこの地上に救い主イエス様を送ってくださったことを感謝します。イエス様が、僕たちの罪を赦してくださり、救いを与えてくださることを感謝します。救い主誕生の喜びをもってクリスマスを迎え、神様を心から賛美することが出来るように導いてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」
「神は約束にしたがって、このダビデの子孫から、
イスラエルに救い主イエスを送ってくださいました。」 使徒の働き13章23節
<適用>
マタイの福音書1章は、私にとって聖書通読を始める大きな壁となっていた箇所です。何度かお話しをしたかもしれません。私が小学生の時、教会学校では、聖書通読にチャレンジすることが勧められました。その時、私は、新約聖書からチャレンジすることにしました。そして、聖書を読むとしたら、最初から読むほうが良いだろうと考え、私は、マタイの福音書から読み始めます。マタイ1章は、カタカナばかりが並びます。私は、本を読むのが遅いタイプで、どちらかと言うと苦手でした。ですから、訳の分からないカタカナを読んでいると数分で疲れてしまって、マタイ1章が読み終えないということがありました。マタイ1章を読み終わったとしても疲れてしまい、その先を読む気にはなれませんでした。恐らくマタイからでなくても良いと教えてもらったと思いますが、私は、頑なにいつもマタイ1章から始めていました。その結果、何度も聖書通読を断念したという記憶があります。聖書を読み続けることは、大切な事です。これから聖書通読を始めようと思っている人がいたら、読みやすいところから始めたら良いと思います。
もし私が、マタイ1章の系図の説明を聞いていたら、聖書通読はもう少し楽しくなっていたかもしれません。その意味では、今日イエス様の系図を見ることは意味があるかも知れません。マタイは、イエス様の系図を示すことで、救い主の預言とその成就が神様によって導かれて来たと私たちに教えています。
Ⅰ;確かの人として来られた
救い主イエス・キリストは、確かに人として来られたお方です。パウロは言います。「キリストは神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、・・・(ピリピ2章6‐7節)」イエス様は、神様であるにもかかわらず、人となってこの地上にお生まれくださったのです。マタイは、イエス様こそ神様が約束された救い主であるということを系図を通して明らかにしているのです。
今日は、代表的な人だけを見ることにします。まず、アブラハムです。先ほどアブラハムについて少し見ましたが、神様は、アブラハムを選び、約束の地に行くようにと導きました。アブラハムは、神様に従って行動しています。アブラハムは、「あなたを祝福する、地のすべの部族は、あなたによって祝福される(創世記12章1-3節」という神様の約束、またアブラハムの子孫が空の星のように増え広がるという(創世記15章5-6節)、神様の約束を信じました。まだイサクが生まれる前に、アブラハムは神様の約束の言葉を信じたのです。アブラハムは、神様を信じ、信頼し、従い続けました。その結果、アブラハムは、神様からの大きな祝福を受ける事が出来たのです。このアブラハムへの約束は、神様ご自身が責任をもって進めてくださっていました。
アブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれて、ヤコブからイスラエルの12部族となりました。ヤコブの子どもの中のユダが、アブラハム契約を受け継ぐこととなりました。こうして系図は、ダビデ王につながって行きます。
ダビデは、神様によって選ばれてイスラエルの王となりました。ダビデは、数々の失敗をしてしまいますが、彼は罪が指摘されれば悔い改めて、常に神様を信じて歩んでいた王様でした。ダビデは、神様を礼拝する神殿を建設する事を考えましたが、神様は、それはダビデの後の王がする事だと言われました。その時に神様は、ダビデに一つの約束をしました。「しかしわたしの恵みは、わたしが、あなたの前から取り除いたサウルから取り去ったように、彼から取り去られることはない。あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。(Ⅱサムエル記7章15‐16節)」
神様は、ダビデの王座が永遠に続くと言われたのです。そのために、イスラエルが北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂してしまった後でも、南ユダ王国ではダビデの血筋が保たれることとなったのです。それだけではなく、アブラハムやダビデへの神様の約束は、人としてお生まれになる、救い主イエス・キリストによって永遠に成就することとなるのです。私たちの救い主イエス・キリストは、確かに人として私たちの歴史の只中に来られたお方です。
Ⅱ;全ての人の救い主
救い主イエス・キリストは、全ての人の救い主としてお生まれになりました。マタイは、「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図」と始めています。マタイは、当時のユダヤ人のためにこの福音書を書きました。だからマタイは、ユダヤ人の先祖であるアブラハムから始めることで、イエス様の確かさを説明するのです。当時は、男性中心社会ですから、当然系図も男性中心となり、「父からその子が生まれる」という書き方をしています。けれども、マタイは、イエス様の系図に女性の名前を入れています。どんな女性たちなのでしょうか。
タマルは、創世記38章に出てきます。彼女は、ユダの息子エルと結婚しましたが、エルは神様の裁きを受けて死んでしまいました。子どもは与えられていませんでした。タマルは、実家に戻され、ユダの他の息子が成人するまで待つこととなったのです。しかしユダは、その事を忘れてしまったのか、タマルはいつまでもやもめのままでした。タマルがとった行動は、娼婦のような姿になって、舅のユダを誘惑するという事でした。こうしてタマルは、舅のユダによって男の子を産むのです。それが、「ユダがタマルによってペレツとゼラを生み、(マタイ1章3節)」と言われている事です。
ラハブは、ヨシュア記2章に出てきます。モーセの後、ヨシュアによって導かれてイスラエル民族が、エリコを攻めとるために2人の斥候を送り込みました。その時、ラハブが2人の斥候をかくまい、逃がしたのです。ラハブについては、「遊女」であったと言われています。ラハブは、主なる神様が、荒野でイスラエルの民を導いておられたことを知っていたのです。実際に、エリコが攻め落とされる時、ラハブとその家族は、助けられ、イスラエル民族の中で生きることとなりました。こうして「サルマがラハブによってボアズを生み(マタイ1章5節)」となりました。
ルツは、ルツ記に出てきます。ルツはモアブの女性でした。ルツは、イスラエルから移住して来た人と結婚し、その後、姑と一緒にベツレヘムに移って来ました。その時ルツは、イスラエルの神こそ私の神という信仰告白をするのです。こうしてルツは、ボアズとの結婚に導かれ、「ボアズがルツによってオベデを生み(マタイ1章5節)」となるのです。
ウリヤの妻は、バテ・シェバのことです。彼女は、Ⅱサムエル記11章に出てきます。ダビデは、バテ・シェバと姦淫の罪を犯しました。彼女が妊娠したことを知ったダビデは、夫のウリヤを激戦地に送り戦死させてしまうのです。ダビデは、預言者ナタンにこの大きな罪を指摘された時に、心から悔い改めて主に立ち返り、心を新たにして神様に従うのです。こうして「ダビデがウリヤの妻によってソロモンを生み(マタイ1章6節)」となります。
これらの出来事は、普通ならば隠しておきたい事柄です。けれども、聖書は包み隠さず明かにしています。そのことを通して神様の救いの計画の広さと神様の愛の大きさを示すためです。神様は、祝福の約束とはかけ離れた異邦人を、救い主の系図に入れてくださいました。神様の救いの計画は、ユダヤ人だけでのものではなく、全ての人のためのものであると言うことなのです。神様は、罪をそのまま見過ごすことはされませんが、心から罪を悔い改める者を赦して、救いを与え、祝福を与えてくださるのです。ダビデの姿がそれを教えています。
イエス様は、全人類の救いのために、人となってお生まれになりました。なぜ、人となる必要があったのでしょうか。それは、人間の罪の代わりになれるのは、人間だけだからです。しかも、その人は神様の前に罪がなく、完全に聖く正しい人でなければなりません。地上の誰一人として、神様の前に完全になることは不可能です。だから、イエス様は、神であるにもかかわらず、人間となったお生まれになり、完全に聖いお方として地上の生涯を歩まれたのです。
どうして神様は、そこまでしてくださったのでしょうか。その答えは、イザヤ書9章7節にあります。イザヤは、救い主の預言を語り、「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる」と言いました。この救いの計画には、神様の愛と憐れみと恵みが溢れています。神様は、全ての人を罪から救うために、御子イエス様を送ってくださったのです。それほどまでに、私たちは、神様に愛されています。私たちは、この神様の恵みと祝福をいただくことが出来ます。今、心から救い主イエス様の誕生を感謝し、心にお迎えして、クリスマスを祝いましょう。
祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様は、あなたはご自身の祝福をアブラハムとダビデに約束し、イエス様の誕生によってそれを成就してくださいました。罪人が赦され、救われるための救いのご計画を心から感謝致します。
私たちは、救い主イエス様の誕生を覚え、心から神様の御名を賛美し礼拝します。神様、私たちの心を救いの恵みで満たしてください。神様、私たちの心を神様からの愛で包み、天からの平安で満たしてください。
私たちの救い主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。」