2022年12月11日(日)礼拝説教 ルカの福音書1章5-25節 「救い主の道備え」 説教者:赤松由里子師

<子どもたちへ>

 アドベントの3週目になりました。今日は、イザヤの預言から約700年後のお話です。救い主誕生の最後の準備として神様がしてくださったこと、それは一体どんなことだったのでしょうか。
 今日の登場人物はこの2人。男の人はザカリヤといいます。去年のアドベントにもお話した人ですよ。大勢いる祭司の一人で、とても尊敬されている人でした。もう一人、この女の人は奥さんのエリサベツです。2人とも年を取っても子供がいないことをとても残念に思っていました。
 そんなある日のこと。ここはエルサレムの神殿です。ザカリヤは今、神殿の奥の聖所と呼ばれる部屋で、神様のためにお香をたいています。一生に一度あるかどうかわからない名誉なお仕事です。くじ引きに当たって、ザカリヤはこの役目に当たっているのでした。

 すると突然神様の御使いが現れました。「ザカリヤ、怖がることはありません。あなたの願いが聞かれました。奥さんのエリサベツは男の子を産みます。その名をヨハネと付けなさい。その子は人々を神様に立ち返らせます。救い主が来られることを知らせる人になります。」ザカリヤは怖いやら、驚くやら。思わず言ってしまいました。「こんな年寄りに赤ちゃんが生まれるなんて、そんなことがあるのでしょうか?」み使いは言いました。「私は天使ガブリエルです。私のことばを信じなかったので、あなたは子どもが生まれるまで口がきけなくなります。」その時からザカリヤは何も話せなくなってしまいました。

 しばらくすると、御使いの言った通り赤ちゃんが生まれました。奥さんのエリサベツも大喜びです。赤ちゃんが生まれて8日目、名前を決める日になりました。ザカリヤは御使いの言った名前を覚えていたので、板に「その子の名はヨハネ」と書きました。とたんにザカリヤはまた話せるようになりました。
 ザカリヤは心から神様を賛美しました。「ザカリヤの賛歌」というのでしたね。ザカリヤは言いました。「わが子ヨハネは、この救い主をお迎えする準備をする人になります。」これはイエス様のお誕生の約半年前の出来事です。救い主が来られる日が、いよいよ近づいていたのですね。

 実は道を備えるヨハネのことも、聖書には預言されていました。今日のみことばを読みましょう。イザヤが「叫ぶ者の声」と言ったのがヨハネのことです。ヨハネが来て「救い主を迎える用意として、悔い改めて心を神様にまっすぐ向けなさい。」と告げるというのです。大切な救いのメッセージを、悔い改める心になってしっかり聞くことが大切だからですね。
 こんなに熱心に神様が準備して下さってクリスマスが実現していきます。それは私たちに荒野のような人生から希望のある人生に入らせようという、神様の愛です。この救い主を、準備され開かれた心でお迎えするクリスマスとしていきましょう。

<祈り>
「神様、ヨハネが生まれてきたのは、救い主を迎える準備のためだったと学びました。私たちも心の準備が必要です。自分の罪を見つめなおし、悔い改めと信仰の心で救い主イエス様を迎えさせて下さい。大きな感謝でクリスマスを迎えていけるよう整えてください。御名によってお祈りします。アーメン。」

「荒野で叫ぶ者の声がする『主の道を用意せよ。
 荒れ地で私たちの神のために、大路をまっすぐにせよ』」。      イザヤ書40章3節

<適用>

 アドベントはイエス様のお誕生を待ち望む時なのに、なぜバプテスマのヨハネの誕生から始まるの?と疑問に思う方がいるかもしれません。しかしヨハネ誕生のエピソードは、救い主到来の先触れです。描かれているのは、祭司ザカリヤ夫婦の長年の祈りが聞かれた嬉しいエピソードであります。しかしそれ以上に、神様がその救いのご計画をいよいよ実行する時が来たことの現れなのです。
 今日は救い主の道備えをしたバプテスマのヨハネの誕生を通して学んで参ります。順に見て参りましょう。

1.祈りに応えられる神(8~23節)

 最初にザカリヤとその妻エリサベツに目を留めましょう。1章5節によれば、ザカリヤは祭司で、妻エリサベツは祭司の一族の名門中の名門、モーセの兄アロンの子孫でした。6節によれば「二人とも神の御前に正しい人で、主のすべての命令と掟を落ち度なく行って」いました。祭司としての誇り高い働き、由緒正しい家系、敬虔な生き方。彼らは一目置かれる存在だったでしょう。
 しかし彼らは、子どもがないまま年をとっていました。子どもがないのがさみしい、というレベルの話ではありません。跡継ぎが与えられないのは、何かの罪を犯した結果ではないか、と後ろ指を指されるのが当時の社会だったと言います。ですからエリサベツは24節でこの状態を「私の恥」と言ったのです。ザカリヤ夫婦は子どもが与えられるよう、切に祈っていました。しかし叶わぬまま年を取り、いつしか諦めの境地にいたっていたのでしょう。

 喜びの知らせを受けたにも関わらず、ザカリヤは御使いの言葉をすぐに信じることはできませんでした。高齢の妻が子を産むとは、常識的にあり得ないとの思いが口をついて出てしまったのです。ルカ1章のマリヤへの受胎告知において、マリヤが疑うことなく御言葉を信じたのと対照的です。知識や経験、年齢、職業などで信仰が高められるわけではないことがわかります。いくつになっても、どんなに経験を重ねても、素直な柔らかい心で神に信頼する者になれたら幸いです。

 神様は彼らの切なる祈りに恵みをもってお応えになりました。ザカリヤ夫婦の祈りは主に届いていたのです。同じように、私たちの祈りも神様に届いています。神様の時に、神様の方法でその恵みを示して下さるのを、信仰をもって待ち望もうではありませんか。

2.バプテスマのヨハネの誕生(39~66節)

 さて、生まれてくるヨハネについて御使いは「エリヤの再来のような預言者になる」、と告げました(14~17節)。後にイエス様も「この人こそきたるべきエリヤなのです」(マタイ11章14節)と言われました。実はこのことは、旧約聖書と新約聖書を繋ぐ非常に重要なポイントです。

 昨年のアドベントにも出したクイズを改めてお出ししたいと思います。「Q.旧約聖書で最後に名前の出てくる人物は誰でしょうか?」覚えていますか?…それは預言者エリヤです。旧約聖書の最後の章、マラキ書4章5節に記されています。終末が来る前に「預言者エリヤをあなたがたに遣わす」、との預言で旧約聖書は終わっています。そののち新約聖書までの約400年間、神の言葉はなく沈黙の時代が続きました。
 そしていよいよ沈黙を破り、救い主の道備えをする再来のエリヤとして、バプテスマのヨハネが誕生するのです。これがクリスマスの前にヨハネの誕生が語られる理由です。

 イエス様の母となるマリヤは受胎告知を受けたあと、ザカリヤの家で親戚のエリサベツと3か月の間一緒に暮らしたとあります(56節)。胎内のバプテスマのヨハネとイエス様が一緒に暮らしていたのですから豪華な顔ぶれですね。そこには当然、ザカリヤの姿もあったでしょう。ザカリヤは救い主とわが子ヨハネについて思いを巡らしたことでしょう。この時間はザカリヤにとって必要なものでした。無事エリサベツが男の子を産み、8日目の割礼と命名の際に、ザカリヤは人々に伝えました、「その子の名はヨハネ」(63節)と。するとただちに口がきけるようになって神をほめたたえました。

 沈黙の日々はザカリヤの信仰を整え、わが子ヨハネの使命を深く理解させました。理解する中で与えられたのは神をほめたたえる思いでした。
 私たちはどうでしょうか?神様の偉大な救いのご計画が進められて、わたしたちもその中に招かれています。師走の忙しさの中にアドベントを迎えていますが、静かに思い巡らすことが必要です。主が備えて下さった深いご計画を味わい、賛美をこの口に上らせて参りましょう。

3.ザカリヤの賛歌(67~79節)

 ヨハネの誕生と成長は驚きをもって受け止められていたのでしょう。その一部始終は、ユダヤの山地全体に語り伝えられました。語り伝えられる、これはとても大切なことです。
 68節から記されているのは「ベネディクトス」と呼ばれるザカリヤの預言的賛歌です。
 前半では、救い主到来の喜びが歌われています(68~75節)。ダビデの子孫として、アブラハム契約の成就として、救い主が到来した喜びに溢れているのです。
 また、後半ではバプテスマのヨハネの使命を歌っています。預言者ヨハネは「主の御前を先立っていき、その道を備え、罪の赦しによる救いについて、神の民に、知識を与える」存在だとあります(76~77節)。私たちが救い主を必要とするのは私たちが罪ある存在だからです。しかし生まれながらの私たちは、自分が罪ある存在だと認めることがなかなか出来ません。そこで悔い改めを呼び掛けるのが、ヨハネの使命でした。聖書における救いとは、常に「罪の赦しによる救い」です。気休めや一時的な逃避は人に本当の平安を与えることはありません。この正しい知識と救い主への信仰こそが、どうしても必要なのです。ヨハネはそれを知らせるために誕生しました。

 78~79節に注目しましょう。「これは私たちの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、曙の光が、いと高き所から私たちに訪れ、暗闇と死の陰に住んでいた者たちを照らし、私たちの足を平和の道に導く。」ここに私たちの求めるすべてがあるように思います。神の深いあわれみこそが、光をもたらします。そして本当の平安に導き入れられるのです。

 では私たちのなすべきことは何でしょうか。それは「悔い改めと信仰をもって救い主をお迎えすること」です。ザカリヤはヨハネとイエス様を目の当たりにして、このことを歌わずにいられなかったのです。ザカリヤのほとばしるような思いに改めて圧倒されます。やはりクリスマスには賛美がふさわしい、と思わされます。
 今年のクリスマスにあたり、大切なことが見えてきました。自らと向かい合ってへりくだり悔い改めること、救い主を信じ神の光と平安をいただくこと。このことがあってこそ、クリスマスは輝いたものになるのです。

<祈り>
「神様、アドベント第3週の礼拝をありがとうございます。救い主誕生の道備えをしたバプテスマのヨハネの誕生を学ばせて頂きました。私たちの切なる祈りをお聞き下さり、ご計画を実現なさる神様に感謝いたします。どうぞ祈りを御心に留め、恵みをお与えください。また今年のクリスマス、悔い改めと信仰を通して私たちに光と平安をお与えください。世の中は不安に満ち、救い主到来のよき知らせが必要です。私たちを証し人として整えお用いください。心からの賛美をもってこの御恵みを届けさせて下さい。御名によってお祈りいたします。アーメン。」