<子どもたちへ>
小学校、中学校では、勉強していることを確認するためにテストがありますね。「テストは嫌いだ!」という人もいるでしょう。僕は、テストが嫌いでした。僕は、「宿題とテストがなかったら学校はもっと楽しいのになぁ」と思っていました。でも必ずテストがあります。それは、学校で勉強していることを確認するために大切なものですね。今、高校受験や大学受験に取り組んでいる人もいます。毎日勉強をして、受験に備え、とても緊張するかもしれませんね。そんな時、皆は、どのように勉強していますか。またテストや試験の当日はどのようにしているでしょうか。ぜひ、勉強する前に祈りましょう。テストの問題に取り組む時には、勉強したことを充分発揮することが出来るように祈りましょう。そして、気持ちが落ち着くように神様に助けて頂きましょう。
エステルは、とても緊張しながら三日間を過ごしました。この三日間は、何のための三日間だったでしょうか。そう、断食のお祈りをする期間でしたね。ペルシアの都にいるユダヤ人たちもエステルと心を合わせてお祈りをしていました。エステルは、お祈りをしながら、クセルクセス王に会いに行く勇気と信仰を神様から与えられて立ち上がることが出来ました。
エステルは、王に呼ばれたわけではありませんでしたが、クセルクセス王に会いに行きました。王様が機嫌を悪くするとエステルは、処罰を受けることとなります。どうなったでしょうか。王様は、エステルが中庭に来た時、喜んで手に持っていた金の笏を差し伸ばしてくれたのです。クセルクセス王は、エステルが何かを求めに来たと思い、「どうしたんだい、王妃エステル、何か願い事でもあるのか」と尋ねます。エステルは具体的な要求はせず、「王様、今晩、パーティーを開きますので、大臣のハマンと一緒に来てください」と言います。このエステルの申し出に王様もハマンも大喜びです。二人とも上機嫌でパーティーを楽しみました。クセルクセス王は、パーティーの最後に「王妃エステル、何か願い事でもあるのか、国の半分でも与えることが出来るが」と聞きました。エステルは、「王様、明日もパーティーを開くのでハマンと一緒に来てください」と誘います。
さて、パーティーを終えたハマンは、王様以外には自分だけが招かれたこと、自分が特別扱いされていることを喜び、意気揚々と自宅に帰ります。しかし、王の門にいるモルデカイは、やはりハマンを拝みません。ハマンは、「モルデカイの奴は、どうしても頭を下げないな、もう我慢の限界だ」怒り心頭です。その夜ハマンは、モルデカイを処刑する計画を立てました。(14)。
さて、エステルは予定通りに2回目のパーティーを開き王様とハマンがやって来ました。この時、エステルは、「王様、私の民族が滅ぼされようとしています。私は、とても悲しくて、何とかして王様に助けてもらいたいのです。」と訴えました。クセルクセス王は、「そんなことを計画して実行しようとしているのはどこの誰だ」と激怒しました。エステルは、「このような計画を立てたのは、このハマンです。」とハマンを指さします。王様の怒りは、ピークに達しました。そして震えあがっているハマンに対して、王様は処刑を言い渡します。
これで全てが終ったわけではありません。ハマンが王の名前で出したユダヤ人の虐殺命令は、王様であっても取消すことが出来ないのです。エステルとモルデカイは、クセルクセス王の許可を受けて、ユダヤ人が対抗して戦い、反撃しても良いという新しい命令を出しました。周りの人たちもユダヤ人たちに協力して守ってくれたのです。こうしてユダヤ人たちは、守られ勝利を得ることが出来ました。
今週の聖句を読みましょう。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」ローマ人への手紙8章28節。神様は、神様を信じて、心から従い、神様を礼拝する人を必ず守り、助けて導いてくださいます。
祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。エステルは、神様に祈り信仰と勇気と知恵を与えられて、解決の道を開きました。神様は、今も僕たちを支え、守り、導いてくださることを感謝します。神様、子どもたち一人ひとりを助け導き助けてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」 ローマ人への手紙8章28節。
<適用>
私が、牧師になってしばらく経った時のことです。その時奉仕していた教会の姉妹から「ぜひ主人に会ってください。」と言われました。ご主人は、病気のために入院していて聖書の御言葉を話してもらいたいという事でした。私は、「行きましょう。」とすぐに答えて日程を調整しました。姉妹からは、ご主人が聖書の話をずっと避けていたという事を聞いていました。私は、神様に祈りつつ3分くらいのメッセージを準備しました。いざ病院に行って、姉妹と一緒に病室に向かっている時、姉妹から「もしかしたら、病室に入っても追い返されるかもしれません」と言われました。私は、それはもう少し早く言って欲しかったなぁと思いつつ、「いや~大丈夫でしょう」と言いつつ、若干緊張しながら病室に向かいました。すると、予想に反してご主人は快く迎えてくださって聖書の話を聞いてくれました。その日から、定期的にお見舞いをして御言葉を語り、退院してからは自宅に伺い一緒に聖書を学びました。そしてその方は、信仰に導かれ洗礼を受けることが出来ました。まさに神様の支えがあった出来事でした。神様は、私たちを支え、導くお方です。
Ⅰ;私たちの背後にいてくださる
神様は、私たちの人生の背後にいて導いてくださいます。ハマンは、モルデカイを憎むあまり、モルデカイ一人ではなく、モルデカイの民族全てを滅ぼすという残忍な計画を実行に移します。クセルクセス王は、ハマンを重んじ、首長たちのだれよりも上に立つ者としました。これは、ハマンが、ペルシアの国でナンバー2になった事を意味しています。ハマンは、自分が王に認められ、王の指輪まで預かるようになったことで、高慢になり、誰もが自分を恐れひれ伏すと考えていました。それだけ自分は昇進し偉い人物になったと言うのがハマンの心の中の思いです。ですからエステルが、宴会を開き、クセルクセス王とハマンだけを招待した時のハマンの気持ちを想像することが出来るのではないでしょうか。ハマンは、どれほど上機嫌でその夜を迎えた事でしょうか。(エステル記5章)
上機嫌で帰るハマンは、王の門にいるモルデカイの不愉快な態度に我慢の限界を迎えます。ハマンの心は、「王妃エステルに招待されるほどの自分なのに、モルデカイはひれ伏すことをしない。何という不届き者か」という怒り心頭です。その夜、ハマンは自分の妻と友人たちの助言を受けてモルデカイを処刑する計画を立てるのです。
一方クセルクセス王は、どうしたでしょうか。今日の聖書箇所です。クセルクセス王は、エステルの宴会から帰っても、その夜は寝ることが出来ませんでした。エステルの宴会が嬉しく、気持ちが高揚していたのでしょうか。王は、記録の書を読ませます。年代記の朗読を聞けば眠気がやって来るということでしょうか。しかし、この朗読がさらに王の目を覚ましてしまいます。何と王の門にいるモルデカイはクセルクセス王の暗殺計画を察知して、王の命を救ったとあったのです。これは、エステル記2章21-23節の出来事です。クセルクセス王は、モルデカイによって命拾いしたことだけでなく、モルデカイに何も褒美が与えられていないことも知りました。そしてクセルクセス王は、何か褒美を与えるべきだと考えるのです。そうこうしているうちに、夜が明けました。
そこにハマンがやって来ます。モルデカイを処刑するためです。クセルクセス王は、「王が栄誉を与えようと思う者には何をしたら良いか」とその晩に考えていたことへの助言を求めました。私は、この時のハマンの目の輝きを想像することが出来ます。ハマンは、すぐさま「それは自分の事だ」と考えます。そして自分が受けたい王の褒美を思いつくままに伝えました。「その者に王の服を着せ、王冠をかぶった王の馬に乗せ、貴族である首長に馬を引かせ、広場では『王はこのように栄誉を与える』と言い広める」というものでした。ハマンは、自分こそ王から栄誉を受けるべき者だと思い込んでいます。クセルクセス王は、今言った通りをユダヤ人モルデカイにするようにという命令を出しました。ハマンは、モルデカイを処刑するどころから、モルデカイに王の褒美を与える役目を担う事になってしまいました。
ここから大どんでん返しが始まります。しかもこの大逆転は、エステルやモルデカイの人間的な計画ではなく、神様の御手の働きです。先週も触れましたが、エステル記には「神」と言う言葉は出てきていません。けれどもエステル記を読んでいると、エステルやモルデカイの背後にある神様の御手の働きを見ることが出来るのです。その神様の御手は、私たちの目には見えませんが、確かに背後にあるのです。何故ならば、神様は私たちを支え導くお方だからです。神様は、私たちの人生の背後にいて確かに導いておられます。
Ⅱ;人生のすべてが益とされる
神様は、私たちを支え導くお方です。私たちの人生は、神様によって全てが益とさせるということを覚えましょう。エステル記には、「神」という言葉がないだけではなく、信仰に関する表現はありません。唯一「断食」と言う言葉あるだけです。けれども、私たちは、モルデカイが主なる神様を信じて信頼していたことを確かに知ることが出来ます。そしてエステルが、主なる神の導きを確信して、王妃の立場が与えられているという信仰に立ったことを知ることが出来ます。それだけではなく、神様は、クセルクセス王にも御手を伸ばしてくださり、王の心を導いておられたことを知るのです。
このようにして全ての事が神様の御手の中にあり、ハマンが立てた計画が王の逆鱗に触れることとなり、ハマンは王の命令によって処刑されるのです。また、それだけではなく、クセルクセス王は、モルデカイとエステルに全権を与え、ペルシアにいるユダヤ人たちが自衛手段を取り、身を守り、敵を攻撃出来ると言う命令が出されることとなりました。ユダヤ人たちは、絶対絶命の大ピンチから一転して、大勝利となったのです。この事を記念してユダヤ人たちは、「プリムの祭り」を今でも大切な祝日として守っています。
今週の聖句をご一緒に読みましょう。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」ローマ人への手紙8章28節。
神を愛する人々とは、神様を信じ、神様を礼拝し、神様を喜び、主なる神様を心から信頼する人々です。神様は、そのようにご自分を信じ信頼する者を見捨てることをせず、全ての事を益としてくださるのです。しかも「すべてのことがともに働いて」です。第3版では「神が全ての事を働かせて益としてくださる」と訳されています。神様が、私たち一人ひとりの人生の全ての事柄にかかわってくださるということなのです。皆さんは、その事を信じているでしょうか。
旧約聖書でも同じような事が約束されています。詩篇1篇です。「幸いなことよ 悪しき者のはかりごとに歩まず 罪人の道に立たず 嘲る者の座に着かない人。主のおしえを喜びとし 昼も夜も そのおしえを口ずさむ人。その人は 流れのほとりに植えらえた木 時が来ると実を結び その葉は枯れず そのなすことすべて栄える。(1‐3)」この御言葉は、何でも自分の好きなようになると言う約束ではありません。神様が、私たちの人生の全ての面で働かれ、責任をもって導いてくださるという約束です。私たちの人生が神様によって彩られていくという事なのです。だからこそ、私たちは神様を信じ、神様の御言葉を心に蓄え、賛美と礼拝の歩みをするのです。
詩篇1篇は、「悪しき者は そうではない」と続きます。悪しき者は、神様を信じないで、御言葉を心に留めることをせず、礼拝も賛美もしない人です。そのような人は「風が吹き飛ばす籾殻だ。…悪しき者の道は滅び去る(4‐6)」のです。まさに、ハマンがそのような最後を迎えることとなりました。
皆さん、私たちは、私たちの背後におられ、確かに導いておられる神様の導きを知ることが出来ているでしょうか。私たちの人生の全てを益としてくださる、天地創造の主なる神様の御力を見ているでしょうか。私たちは、神様のなさること、神様の導き、神様の祝福に対して心の目を開き、敏感に受取って歩みましょう。
もうだいぶ前の事となりますが、日曜日の夜に「世界名作劇場」というアニメ番組がありました。覚えている人もいるのではないでしょうか。「トムソーヤの冒険」、「小公女セーラ」、「赤毛のアン」、「ラスカル」などのアニメが放送されたと記憶しています。その中に「ポリアンナ物語」というものがありました。主人公のポリアンナは、牧師の娘です。私は、このアニメを通して新約聖書に「愛」という言葉が300回以上出て来ることを知りました。クリスチャンとしては嬉しい番組です。またこのような番組が放送されれば良いのにと思います。牧師の娘のポリアンナは、幼くして両親を亡くします。苦労して成長するポリアンナですが、牧師であったお父さんの「良かった探し」を心の支えとして過ごしました。彼女は、悲しい事、辛いことがあると父親から教わった「良かった探し」をするのです。その事を繰り返していくうちに、ポリアンナは、辛いことばかりで何もないと思える毎日でも、何か良かったと思えることが一つや二つはある事に気づくのです。そしてこの「良かった探し」がポリアンナの周りの人たちの心を励まし、力づけることとなるのです。
神様は、私たちの人生の全ての事を働かせて益としてくださるのです。私が教会の姉妹のご主人に伝道する時、姉妹は、夫は牧師の話を聞かないだろうと考えていました。しかしその思いとは反対にご主人は、私の話に大きくうなずきながら、耳を傾けてくださったのです。神様が背後にいて導いてくださった瞬間を経験しました。
私たちの日々の歩みの中に神様の確かな導きがあります。何も良いことがないと思える事柄の中にも、神様は御手をさし伸ばしてくださり、支え導いてくださるのです。そのことを信じますか。私たちは、神様を信じて、全てのことをお任せすることが出来きます。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」
祈り
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様は、全ての事を働かせて益としてくださるとい約束を感謝致します。神様が、私たちの人生の背後にいて下さり、御手を差し伸べて支え導いてくださることを信じます。神様、どうか導いてください。何もないと思える時にも神様は、確かに私たちと共にいてくださることを感謝致します。神様、私たちが神様のしてくださる数々の恵みの働きに目を留めることが出来るように助けてください。
神様、受験を控えている受験生たちの上に御手を指し伸ばして守ってください。そして神様の御心によって進路が導かれていきますようにとお願い致します。
この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。」