2023年2月26日(日)礼拝説教 ネヘミヤ書4章1-9節 「神が成し遂げて下さる」 説教者:赤松由里子師

<子どもたちへ>

 先週は神山みささんのコンサートが教会で行われました。参加した人もいたと思いますがどうだったでしょうか。私は「あなたのみ旨のままに用いたまえ」という歌詞が心に残りました。フレッシュな気持ちでこれからも神様の後を歩いて行きたいと思いました。
 さて先週の水曜日から受難節(レント)に入りました。旧約聖書のお話は今日で一区切りになり、来週からは新約聖書のお話になります。今日も先週に引き続き、この人のお話をします。覚えていますか?そう、ネヘミヤさんです。打ち壊されたままのふるさとエルサレムの城壁を立て直すため、王様の許可を得てユダの国に戻ってきたのですね。

 ネヘミヤはまず、夜の内にエルサレムの城壁の様子を見て回りました。聞いていた通り、町を守る壁はボロボロで、門も黒こげに焼け落ちています。昔の戦争でやられたままの状態でした。「これはひどい…。」立て直すのはとても大変な仕事になりそうでした。
 朝になるとネヘミヤは仲間たちを呼び集めました。「みなさん、城壁と門を立て直しましょう。神様がこの仕事を導いておられます。ペルシャの王様も応援してくれています。」エルサレムの人々は勇気づけられて、「さあ、再建に取り掛かりましょう!」と答えました。

 ところが良い働きが始まると決まって妨害がおこります。エルサレム周辺を勝手に利用していた外国人たちは、城壁が再建されユダヤ人が強くなるのが気にいりません。それで工事する人たちをからかって侮辱し始めました。「あんな城壁などみすぼらしくて、狐が一匹上っただけで崩れてしまうよ。」ユダヤ人の自信をなくして工事をやめさせようとしたのです。ネヘミヤは神様にお祈りして工事を進めました。更に、邪魔する人たちは攻めてこようとしましたが、交替で見張りを置いて工事を続けました。ネヘミヤは「神様が私たちを守って下さる」と言ってみんなを励ましました。
 工事を始めて52日目に、城壁が完成しました。邪魔していた人たちは「こんなに早く工事が終わったのか!」とびっくりしてしまいました。中には「ユダヤ人の神がこの大仕事を完成させられたのだ」と言う人もいました。ネヘミヤは前からエルサレムに戻ってみことばを教えていた祭司エズラと一緒に、感謝の集会を開いて心から喜びあったということです。

 皆さん、神様はいつもネヘミヤのお祈りを聞いて助けて下さいましたね。ネヘミヤのように、どんなことでも神様にお祈りして進めていくことが大切です。うまくいかない事もあります。そういう時にもあきらめないで、神様の助けと導きをお祈りしながら歩んで行きましょう。神様が示して下さったことは、神様ご自身が成し遂げて下さるのです。今日のみことばを読みましょう。祈って困難を乗り越えて行きましょう。

<祈り>
「神様、ネヘミヤたちの良い仕事が何度も妨害され困難に直面した様子を学びました。しかしネヘミヤはあきらめずに祈って困難を乗り越えました。神様ご自身が成し遂げて下さることを信じますから、私たちにも困難に打ち勝つ力をお与え下さい。御名によってお祈りします。アーメン。」

「天の神ご自身が私たちを成功させてくださる。」 ネヘミヤ2章20節

<適用>

 私が小学生のころやっていた習い事に、そろばんがあります。そろばん塾に行っておもむろにそろばんを取り出し、先生の「願いましては~」の声に合わせて精神集中し、パチパチと珠を弾いて行きます。最後に計算が出来た人が手を挙げて答え、合っていると「ご明算!」と褒めてもらえます。私は何級かまで取ったのですが、引っ越しを機にやめてしまいました。ある時友達の家に遊びに行って、友達のお母さんに「何か習っているの?」と聞かれました。「今はしていないけど、そろばんをやっていました。」と答えました。するとそのお母さんから「そろばんは今の時代使わないから、うちはやらないのよ」と言われてしまいました。私は「確かに電卓を使えばいいけど、そろばんをすると暗算は得意になるのにな」と思ったのを覚えています。中にはそんな風に言われてそろばんなんて意味がないから止めてしまおう、と思う人もいるでしょう。私のように、別のメリットを心に留める人もいるでしょう。
 何かを進めて行こうとする時、周りの言葉や態度、またあからさまな妨害など、様々な障害が起こることがあります。それは日常の些細な事柄から、神様のためのわざまでみな共通です。よいわざであったとしても、何の障害も起きない、ということはまずないのです。私たちは「み旨のままに生かしたまえ」という祈りの中で歩んでいるお互いですが、それでも困難はやってきます。困難や障害をどう受けとめ、どう乗り越えることができるのでしょうか。ネヘミヤの城壁再建という大きな出来事から学んで参りましょう。

1.神にすべてを知っていただく

 聖書に目を移しましょう。先週学んだ通り、ペルシャ王の献酌官ネヘミヤは、城壁再建のためエルサレムに帰還しました。これは神様の預言通りのことであり、神の大きなご計画によることでした。この時の彼の立場はユダ総督です(1,2章)。ネヘミヤのリーダーシップのもと、ユダヤ人は奮い立って城壁再建工事が進められました(3章)。そして4章でクローズアップされるのがサンバラテという人物です。サンバラテは。エステル記でいうハマンのような立ち位置の人物です。エズラ記、ネヘミヤ記を通して読んでみますと、彼は単なる周辺住民でないことがわかります。どうやらペルシャ属州の一つ、サマリアの総督だと思われるのです。混乱に乗じて、本来権利のないはずのエルサレムの権益や取り分を得ていたようです。そのため何とかしてユダヤ人の興隆を妨害したかったのでしょう。

 2節には彼のあざけりの言葉が出ています。「彼はその同胞とサマリアの有力者たちの前で言った。『この哀れなユダヤ人たちは、いったい何をしているのか。あれを修復して、いけにえを献げようというのか。一日で仕上げようというのか。焼けてしまった石を瓦礫の山の中から拾って、生き返らせようというのか。』」部下のトビヤも「狐が上っただけで石垣は崩れてしまうだろう」と言っています。資材にも事欠く中、必死に工事に励む人々へのひどい侮辱です。

 ネヘミヤはどうしたでしょうか。彼は当然怒りました。しかし彼は「お聞きください、私たちの神よ」と、嘲りの言葉そのものを聞いておられる神に祈り、お委ねしたのです(4節)。祈る前からすべてをご存知の神様ですが、あえて神様の前に事柄を持ち出すことで、私たちの魂は落ち着きを取り戻します。詩篇62篇に「民よ。どんなときにも神に信頼せよ。あなた方の心を神の御前に注ぎ出せ。神はわれらの避け所である」とある通りです。困難に直面して時には主にすべてを祈りましょう。

2.神を恐れて歩む

 4章の後半では、サンバラテ一派の陰謀や暴力での妨害計画が記されています。しかしネヘミヤは知恵ある対応をし「神が戦って下さる」と民を鼓舞しました。続く5章ではユダヤ人社会内部の問題が出てきます。まさに内憂外患です。

 ここでの新しい問題は、ユダヤ人内部の貧富の差と搾取の問題でした。裕福な者が同胞に高利貸しをしていたのです。これは律法で禁じられていることです。ネヘミヤは言いました。5:9「あなたがたのしていることは良くない。あなたがたは私たちの敵である違法の民から侮辱を受けることなく、私たちの神を恐れつつ歩むべきではないか。」ネヘミヤはそう言って民を諭し、まず自分が模範を示します。自分や自分に仕える者たちが貧民に貸した分を、帳消しにしたのです。これは元本帳消しです。これに驚いたのか、高利貸しをしていた人たちも、帳消しを申し出ました。更に5:14を見ると、ネヘミヤはユダ総督としての12年間の奉仕期間にその手当てを受けなかったというのです。前任者は重税を取りたていばりちらしていたのに、です。それは何故でしょうか。「私は神を恐れて、そのようなことはしなかった。」と彼は言うのです。神を恐れて歩む。それがネヘミヤ自身の生き方でしたし、物事を判断する基準でした。信仰者の間の問題を解決するカギとして、一番重要な事柄でした。

 私たちはどうでしょうか。すべてを支配され、罪けがれをお嫌いになる神を恐れて歩んでいるでしょうか。私たち自身は神の御前に改めるべきところはないでしょうか。静まって顧みてみましょう。

3.識別力を頂く

 内外の問題に適切に対処してきたネヘミヤですが、6章では個人攻撃を受けています。リーダーに揺さぶりをかけるのは、神の敵の常套手段でもあります。6:2「サンバラテとゲシェムは私のところに使いをよこして言った。『さあ、オノの平地のケフィリムで会見しよう。』彼らは私に危害を加えようと企んでいたのである。」結局、5回もこんな呼びかけがなされました。そしてネヘミヤがペルシャ王に謀反を企んでいるという噂を流して、ネヘミヤを意気消沈させようとしたのです。更には祭司シェマヤを買収します。10節ではシェマヤが言います。「神の宮、神殿の中で会い、神殿の戸を閉じておこう。彼らがあなたを殺しにやって来るから。きっと夜分に殺しにやって来る。」

 これは暗殺から逃れるための一つの方法でしょう。しかし、祭司でもレビ人でもないネヘミヤが神殿奥深くに潜むのは、冒涜にあたります。この誘惑に引っかかってしまえば、ネヘミヤは霊的指導者としての信頼を失ってしまうことでしょう。しかしネヘミヤは判断力のある人でした。神さまもその判断を守ってくださいました。6:11~13を読みましょう。「『わたしのような者が逃げてよいものか。私のような者で、だれが神殿に入って生き続けるだろうか。私は入らない。』私には分かった。今、彼を遣わしたのは、神ではないと。彼がこの預言を私に伝えたのは、トビヤとサンバラテ彼を買収したからだと。私が恐れて、言われるがままにして罪を犯し、私の悪評が立って、私がそしられるようにするために、彼は買収されたのだった。」

 私たちは、困難な場面でこそ識別力が必要になります。ネヘミヤがこの誘惑のわなにかからなかったのは、神の律法への知識があったからです。もちろん捕囚の民として、すべてのみことばを聞きうる環境にはなかったことでしょう。しかし最善を尽くしてみことばを学ぶ中で、彼はこの危機を正しく識別して乗り越えたのです。現代に生きる私たちは聖書66巻を頂き、いつでも読める環境に置かれています。ネヘミヤよりよほど恵まれています。それぞれの生活の中で、自分の最善を尽くしてみことばを学ぼうではありませんか。そのことが私たちの識別力を養い。困難や危機を乗り越える力を与えてくれます。

 このように私たちが困難を乗り越えて行くことで、神様のわざが進んで行くのです。神様は人を介してことを為すことを良しとなさいます。魔法の杖を一振りすれば解決、ということではありません。すべてを祈りのうちに神に聞いて頂き、神を恐れて歩む。そしてみことばに聞くことで識別力を頂きつつ、事に当たっていく。そのとき、ネヘミヤを通して神様が城壁再建を成し遂げ下さったように、私たちを通しても神様がみわざを進めて下さることを信じ、励んで参りましょう。

<祈り>
「神様、レントの中、城壁再建というあなたのご計画の実現を学ばせて頂きました。どのようなよいわざにも、神の敵の妨害が潜むことを改めて覚えます。その時にネヘミヤの姿を思い出したく思います。あなたに心を注ぎ出すことがゆるされています。また、あなたを恐れかしこみ歩む道が示されています。どうぞ私たちを整え、内外の障害を乗り越えさせてください。また、自ら失敗しないように、みことばによる識別力をお与え下さい。常にあなたと共に歩み、あなたのみ旨のままに生きられますよう、どうぞお導き下さい。御名によってお祈りします。アーメン。」