2023年6月11日(日)礼拝説教 創世記6章5‐22節 「神と共に歩む」 説教者:赤松由里子師

<子どもたちへ>
 今年の世界人口がどれくらいか、調べてみました。「世界人口白書」によると、80億4500万人だそうです。昨年よりも7600万人増えています。日本の人口はというと、1億2330人で、昨年から230万人減っています。神様が造られた世界で最初の人間はたったの2人でしたから、そこから見れば本当にたくさん増えました。
 神様はアダムとエバに「たくさん子供を生みなさい。そして世界中に増えて広がるように」とおっしゃいました。人間がますます繫栄して、仲良く素晴らしい世界を作ることを願っていたのですね。でもアダムとエバはすぐ罪を犯しました。その子どもは兄弟で殺人事件になりました。世界は悪でいっぱいになっていました。

 これを見て下さい。ボカスカ殴り合いのけんかをしています。「お前が悪いんだ!」「何だと?えい、こうしてやる!!」ひどいですね。他にも、うそつき、どろぼう、いじめ、殺人など、人々は神様を忘れて悪いことばかりしたので、神様はとても悲しんでおられました。
 しかし、そんな世界に一人だけ正しい人がいました。この人です。名前は、ノアです。神様がノアに言われました。「ノアよ、聞きなさい。世界中の人間が私を忘れ悪いことばかりしている。悲しいことだが、大洪水で彼らを消し去ることにした。あなたは大きな箱舟を造ってそれに入りなさい。あなた家族もの動物たちもだ。そうすればあなたたちは助かります。」ノアは答えました。「なんと恐ろしいことだ。でも神様、あなたのおっしゃる通りにいたします。」

 ノアは箱舟づくりを始めました。神様が教えてくれた通りの寸法で作って行きます。幅約22.5m、高さ約13.5mといいますから、小中学校のプールが想像できます。箱舟の長さは約135mで、水深がそれだけあるプールを「エイやっ」と横にしたくらいのサイズ感でしょうか。とても大きくて、海もない所に作るにはすごく目立ったし、場違いに見えたでしょうね。「おい、ノア。こんなもの作ってどうするんだ?」と聞く人もいます。「神様のご命令さ。これから大洪水が来るから、君たちも箱舟に乗らないか?」そう言ってもノアの話を信じる人はいませんでした。

 さあ、箱舟が完成しました。3階建ての大きな大きな船です。神様は言われました。「さあ、家族と一緒に箱舟に入りなさい。動物たちも一緒です。」そこでノアと家族が乗りました。また、動物たちのオスとメスが一組ずつ集まって来て、自分たちから箱舟に入ってきました。象、ライオン、キリンにサル、鹿に羊、鳥も虫もあらゆる動物が乗り込みました。すると最後に、神様が箱舟の扉を閉じました。もう誰も、乗り込むことは出来ません。
 やがて激しい雨が降り始めました。何日も何十日も降り続き、木も家も山も、水に沈んでしまいました。神様の言われたとおりになってしまいました。でも箱舟はポッカリと水の表面に浮かんでいます。神様はノアの家族と動物たちを約束通り守って下さったのです。

 皆さん、世界に悪と罪が溢れているのは今の時代も同じです。そして神様が罪を悲しみそれを裁くというのも、聖書に教えられていることです。他人ごとではありません。ノアの時代、神様の救いを信じる人は限られていました。今もそうかもしれません。今日のみことばを読みましょう。「正しい人」とは罪を犯さない完璧な人、ということではありません。「失敗や罪を素直に悔い改め、神様といつも繋がっている人」のことです。また「神と共に歩む」とは、「神を信じて聞き従いお祈りする」という意味です。
 神様は私たちも神様と共に歩むことを願っておられます。そして私たちにイエス様という救いの箱舟を与えて下さいました。罪を悔い改めて、イエス様を信じるなら私たちも救われます。イエス様を信じ、救いの箱舟に入れて頂きましょう。

<祈り>
「神様、あなたがノアに箱舟を準備させたことを学びました。私たちにも救いの箱舟としてのイエス様を備えて下さったことを感謝します。イエス様の救いを信じます。どうぞ滅びから救ってください。御名によってお祈りします。アーメン。」

「ノアは正しい人で、彼の世代の中にあって全き人であった。ノアは神と共に歩んだ。」                     創世記6章9節

<適用>

1.神のことばに従う人

 まず覚えたいのは、ノアが神のことばに従う人だったということです。
 神の設計された箱舟は、大変巨大なものでした。先ほど見た通りです。考えてみると、材料を用意するだけでも大仕事です。ゴフェルの木は山から切り出したのでしょうか。またそれを組み立てるにも困難は尽きなかったことでしょう。重機もない時代に、ノアの家族だけでこれに取り組むのは、容易ではありません。長い歳月を要したものと思われます。更にはこんな大事業をしながら、今現在とこれからの箱舟生活の食糧を確保するのも大変だったでしょう。

 そうした困難に加えて、ノアは周囲に理解されない孤独を味わっていたものと考えられます。イエス様はノアのことをこう語っておられます。マタイ24:38「洪水前の日々にはノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていました。」ノアたちの箱舟作りは、世の営みしか関心のない隣人たちには理解できないことでした。
 こうした状況の中で、ノアは神様のことばに従い続けました。なぜそうすることが出来たのでしょうか?それはノアが次のみこととばを心に刻みつけていたからではないかと思わされます。創世記6:18「しかし、わたしはあなたと契約を結ぶ。あなたは、息子たち、妻、それに息子たちの妻とともに箱舟に入りなさい。」この「契約」ということばの重さをノアは心に留めていたことでしょう。聖なる神、善なる神がノアを名指しで呼び、一対一で契約をし、確かにあなたを救う、と約束して下さる。この神様との真剣な契約のゆえに、ノアは確信をもって箱舟づくりに取り組んだのではないでしょうか。

 これはわたしたちにとって、大切なポイントだと思います。今の時代もイエス様への信仰に生きることは、なかなか理解されません。教会の働き、伝道や証のわざには困難が伴います。そうした中でみことばに生き続けるには、本質的な確信が必要です。イエス様は私たち一人ひとり個別に、名指しで「私はあなたを救う」と約束して下さっています。あなたのために私は十字架で死に、罪を贖ったのだ、と語って下さるのです。だからこそ、イエス様への信仰には、感謝と喜びが伴うのです。神の聖なる愛が自分に注がれており、救いが約束されているからです。この確信によって、みことばに従う上での困難を乗り越える力が与えられます。神様の語られるみことばに、これからも従って励んで参りましょう。

2.信仰を働かせる人

次に覚えたいのは、ノアは信仰を働かせる人であったということです。
 ノアたち家族とすべての動物たちが箱舟に乗り込んだ後、神の手によって箱舟の戸は閉じられました。大洪水の終焉の時まで、何人ももうその扉を開くことは出来ません。創世記7:10からを見ると次のようにあります。「ノアの生涯の600年目の第二の月の17日、その日々、大いなる淵の源がことごとく裂け、天の水門が開かれた。大雨は40日40夜、地に降り続いた。」神様の言われた通りです。大洪水がおき、聖書によると水は150日間地の上に増え続けました。

 救いの箱舟にノアたちは守られていました。しかしそれはどれだけ恐ろしい体験であったことでしょうか。7:23にはこうあります「こうして、主は地の上の生けるものすべてを、人をはじめ、動物、這うもの、空の鳥に至るまで消し去られた。それらは地から消し去られ、ただノアと、彼とともに箱舟にいたものたちだけが残った。」箱舟の外で起きている悲劇に、ノアが無感覚だったとは私は思わないのです。この裁きをなさっているのが聖にして善なる神だ、という信仰を働かせなければ、とても耐えられなかったのではないかと思います。
 また、150日の終わりから水が引き始め、大雨の開始から約1年経過して地はすっかり乾いた、と8:14にはあります。長い箱舟生活は、決して快適ではなかったでしょう。あらゆる動物たちとの共同生活ですから、その臭気やよどんだ空気が漂っていたでしょう。日々のエサやりや排泄物の処理も大変だったと思うのです。

それだけではない、ノアたち一人ひとりの心も極限状態に置かれていたのではないでしょうか。野村萬斎さん主演の「のぼうの城」という映画が10年以上前に公開されました。埼玉県の行田市にある忍城を舞台にした戦国時代のお話です。忍城が「浮き城」という異名を持つに至った「忍城水攻め」を描いています。豊臣秀吉軍の石田三成が、小田原北条氏に着く忍城主・成田氏に開城を迫りました。三成は利根川の水を引き込んで忍城を水攻めにしましたが、城の本丸は全く沈まず浮いているように見えた、というのです。映画では城代の「のぼう様」が庶民を城に招じ入れて守り、水が引くまで避難させた様子が出てきます。確かに命は守られましたが、水が引かず避難生活に倦み疲れた人たちの不穏な顔が描かれていたのを、私は忘れることが出来ません。人は極限状態に置かれた時、その心が大きく揺さぶられるものなのです。

 しかしここでもノアは信仰と忍耐を働かせて乗り越えていきます。やがて箱舟から降り立つ日に、ノアがまずしたことは、神様に祭壇を築いていけにえを捧げること、すなわち礼拝でありました。困難に揺さぶられたはずのノアですが、ぶれずに神様への信仰によって歩を進めたのです。私たちの人生にも、もう立ち上がれない、このまま歩みを止めてしまいたいと思わされる時が来るかもしれません。しかしその時にも、杖を頼りにもう一度立ち上がってみたいと思います。その杖とは、信仰です。孤独な時にも不安な時も、信仰は私たちを支える杖となります。信仰を燃え立たせ、神様にその火を大きくして頂き、歩んで参りましょう。

<祈り>
「神様、罪が満ちるこの世界にあって、救いの道を与え、私たちの名をそれぞれに呼んで契約を結んで下さることを感謝いたします。あなた様のその愛と救いを喜びをもって信じます。みことばに従って歩みとおす力をお与え下さい。また信仰を頼みとし杖として、信仰を働かせてあなたと共なる歩みを進めさせて下さい。御名によってお祈りします。アーメン。」