2023年8月13日(日)礼拝説教 ヨハネの福音書4章1-15節 「決して渇かない泉」 説教者:赤松勇二師

<子どもたちへ>
 夏休みも後半になりますね。夏休みの宿題は、順調に進んでいますか?毎日書く一行日記忘れていませんか?まとめて書くと大変だから、今のうちに思い出して書きましょうね。小川町では、毎日「熱中症に注意しましょう」という町内放送が流れます。今年の夏の気温は、僕たちの体温を超えているので注意が必要です。喉が渇いたと感じる前に水分を取ることが大切のようです。
 ある日、イエス様は、旅の途中で水分補給のためでしょうか、休憩のために一つの井戸の側に座っておられました。今日は、この井戸で起きた出来事を見ることにします。

 イエス様は、「さあ、サマリアを通ってガリラヤに向かおう」と言って出発したのです。これには、お弟子たちはびっくりして、「イエス様、それはどうでしょうか?普通は、サマリアを通らず回り道をして移動するはずですよね。しかもユダヤ人がサマリアを通ったら、サマリア人たちは嫌がるのではないでしょうか。」と答えました。ユダヤ人たちとサマリアの人たちは、関係が悪くそれぞれ関わりを持っていなかったのです。でもイエス様は、「いや、サマリアを通っていかなければなりません」とはっきりと言います。こうしてイエス様一行は、サマリアの町を通って旅を続けることとなりまし。そしてイエス様は、サマリアにある「ヤコブの井戸」と呼ばれる場所で休憩を取りました。弟子たちは、町に食べ物を買いに行っていました。時間としては、ちょうど12時ごろです。ちょうどそこに一人の女性が水を汲みにやってきました。

 イエス様は、「わたしに飲み水をください」と頼みました。女性はびっくりです。ユダヤ人がサマリア人に声をかけることはなかったからです。女性は「どうしてユダヤ人のあなたがサマリア人の私に飲み水を求めるのですか。ユダヤ人とサマリア人はそんな関係ではありませんよね」と答えました。
 これに対してイエス様は、「あなたがわたしを知っていたら、あなたのほうから声をかけたでしょうね。わたしは、生ける水を与えることが出来るのですよ」と言いました。ユダヤ人とかサマリア人という話題から「生ける水」と急に話題が変わってしまいました。この「生ける水」に女性は、反応して「先生、どうやったらそんな水を手に入れることが出来るのでしょうか。あなたは、ヤコブの井戸をほった先祖ヤコブより偉いのでしょうか。」と答えます。

 この質問に対してイエス様は、とっても大切なことを言われました。それが今週の聖句(ヨハネ4章14節)です。一緒に読んでみましょう。「しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」
 「決して渇かない」という言葉に女性は、敏感に反応して「そんな便利な水があるなら欲しいです。ください!!」と思わず叫んでしまいます。でも「決して渇かない水」って一体どんな水なのでしょうか。今日も、皆は水を飲みましたよね。礼拝中でも水分補給をしてくださいね。僕たちは、水を飲んでも、しばらくするとまたのどが渇いて水を飲みます。イエス様は、僕たちの「のどの渇き」のことを言われたのではなく、僕たちの「心の渇き」のことを言われたのです。

「心が渇くってどんなこと?」と思うかもしれませんね。心が渇くっていうのは、「心が元気を失うこと」とか「生きる力が湧いてこないこと」とか「やる気が出なくて楽しくない」などと言い換えることが出来るでしょうか。そうなる原因は、様々ですね。「学校の勉強についていけなくてつまらない」、「人間関係がうまくいかない」などあります。「ただ何となくつまらない」と原因がわからないけれど心が元気を失うということもあるかもしれませんね。
 イエス様は、そんな僕たちの心に力を与えてくださり、僕たちの心に決して渇かない泉を与えてくださるのです。その泉こそ、イエス様を通して与えられる罪からの救い、永遠のいのちの希望です。イエス様を信じて、信頼して、イエス様に求めましょう。

<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。イエス様が、決して渇かない泉、永遠のいのちへの水を与えてくださることありがとうございます。イエス様を信じて歩みます。イエス様、僕の心に力を与えて神様の恵みで満たしてください。この祈りをイエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」

「しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」                ヨハネの福音書4章14節

<適用>
 私は、ずっと前になりますが、熱中症になったことがありました。その時は、エアコンの効いた部屋で快適に仕事をしていました。しかし、気がついたら脱水の症状が出ていて、体調を崩してしまいました。それからは、エアコンの効いた部屋にいても注意して水分補給をすることにしています。
 イエス様の言われた「決して渇かない泉」についてもう少し御言葉から学びましょう。

Ⅰ;近づいてくださる

 イエス様は、私たちに決して渇かない泉を与えて下さいます。そのためにイエス様は、私たちに近づいてくださいます。
 イエス様は、パリサイ人たちとの摩擦を避けてユダヤの地を離れガリラヤに向かわれました。南のユダヤから北のガリラヤに行くにはサマリアを通るのが最短距離なのです。が、9節にあるように当時のユダヤ人は、サマリア人を軽蔑してかかわりを持っていませんでした。その原因は、旧約聖書までさかのぼりますので、今日はそのことには触れません。もとはイスラエルの国として一つだったのに、サマリアの地域の人たちとユダヤ地域とガリラヤ地域の人たちとの間に反目があり、ユダヤ人がサマリア地域を通ることもしないほど、交流がなくなっていまいした。

 このサマリア通過の時に起った出来事は、実に素晴らしいことです。イエス様が昼の12時ごろヤコブの井戸の側で休憩している時にそれは起りました。一人の女性が井戸に水を汲みに来たのです。昼の12時頃ですから、水を汲みに来る時間ではありません。この女性は、人目を避けるようにして水を汲みに来たのです。それは彼女が抱えていた問題が原因です。彼女は、どのようなわけで5回も結婚していたのかは分りません。そこには、彼女の失敗や挫折または、欲望など様々なものがあったのでしょう。最終的に彼女は、結婚せず男性と同棲生活をするというスタイルを取っていました。ですから町の人々が水を汲む朝とか夕方ではなく、人目を避け昼に行動していたのです。また、彼女は自分の欲望のままに貪欲に生きている人と言えるでしょう。彼女は、イエス様が生ける水の話しをすると、その便利な水が欲しいと自分の利益だけを求めます。けれどもそれは、表面的なことで、本当の問題は心の渇きにありました。さらに問題なのは、彼女が自分の心の渇きに気付いていないこと、気づいていたとしてもそれを様々な方法で紛らわしていたと言う事です。イエス様は、このような心がカラカラに渇き切っていた女性に近づき声をかけました。それは、彼女に「決して渇かない泉」を示すためです。

 今でも多くの人は、心の渇きに気づかないのではないでしょうか。気づいていたとしてもやはり、心の渇きを様々な事柄でごまかしています。そして多くの人は、自分の心の渇きを認めず、それを弱さと決め付け、ひたすら隠すということがあります。だからこそ、イエス様は、私たち一人一人に近づき、声をかけ、御手をさし伸ばしてくださいます。私たちは、イエス様を通して自分の問題の本質を知ることが出来ます。あなたのすぐ側にいるイエス様の語りかけに、心の耳を開きましょう。

Ⅱ;永遠のいのちが湧き出る泉

 イエス様が、私たちに与えて下さる決して渇かない泉は、永遠のいのちが湧き出る泉です。
 イエス様に声をかけられたサマリアの女性は、最初イエス様を疑いの目で見ます。その時の彼女の返答にも困惑がにじみ出ています。イエス様が「わたしに水を飲ませてください」と言った時、彼女の持っていた水瓶から飲ませてほしいと言ったことになります。ですから9節は、「ユダヤ人のあなたが、サマリア人に水を求めるのですか?」と言う以上に「あなたは、サマリア人が使うバケツ(水瓶)を使うのですか?」という表現になります。男性が女性に声をかけることのなかった時代、しかもユダヤ人の男性からサマリア人の女性に声をかけるなど普通ではあり得ないことです。しかもサマリア人の女性が持っている水瓶から水を飲みたいなど、「一体この男性は、何を言っているのだろうか」という反応になるのは当然のことです。

 不思議がっている女性に対してイエス様は、すぐに本題に入ります。「もしあなたが神の賜物を知り、また、水を飲ませてくださいとあなたに言っているのがだれであるのかを知っていたら、あなたのほうからその人に求めていたでしょう。そして、その人はあなたに生ける水を与えたことでしょう(10節)。」神の賜物とはイエス様ご自身であり、生ける水はイエス様を通して与えられるものです。この女性は、「生ける水」を「新鮮な湧き水」と思ったようです。彼女は、どうやってそれを手に入れるのかとその入手方法を知りたがりました。彼女は、そんな便利な水があるなら手に入れたいと願いました。

 先週私たちは、ヨハネ3章からイエス様とニコデモとの会話を見ました。皆さん、ニコデモの求めとサマリアの女性の求めは同じことに気づいたでしょうか。ニコデモは何を求めていたでしょうか。彼は、「天の国に入るにはどうしたらよいだろうか」と言うことを求めていました。それに対してイエス様は、「新しく生まれることだ」と教えて下さいました。サマリアの女性は、「生ける水」とは何か、それを是非欲しいと求めたのです。イエス様は、それを与える事が出来ると答えます。

 「水」これは、私たちが生きていくために必要なものです。先週ある番組で、洞窟に閉じ込められてしまったサッカーチームの少年たちとコーチを世界中のダイバーたちが協力して救出したことが特集されていました(タイでの出来事です)。彼らの入った洞窟に雨水が流れ込んで来て閉じ込められたのです。少年たちが発見されるまで10日かかりました。どうして10日間も生き延びられたのかと言うと、洞窟の中に染み出てくる湧き水を飲んでいたと言うのです。それほど水は、私たちにとって重要なものなのです。でも人は、体の必要だけにしか関心はなく、目に見えない心の必要には気づかないのです。私たちが生きていくためには、肉体的な健康を保つだけでは駄目で、心の健康も保ち続ける必要があります。人は、心の健康が失われ、心が渇き、力を失うと体が元気でも生命エネルギーが失われてしまい、生きる力が湧き上がってこないのです。

 イエス様は、言われました。「わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」イエス様が与えてくださる「生ける水」は、心の渇きを完全に満たし、決して渇くことはなく、永遠のいのちへの水が湧き出るのです。「湧き出ます。」と言う言葉(ギリシャ語:アロマイ)には、「躍り上がる」、「湧き出る、噴出する」という意味があります。
 ですからこの部分は、イエス様の恵みとイエス様の与えて下さる永遠への希望という喜びが、私たちの心の内側から溢れ出ると言うことです。イエス様は、私たちのために十字架にかかり死なれました。けれども三日目によみがえって今も生きておられます。私たちは、イエス様によって永遠の希望、天の御国に続くいのちを与えていただくことが出来ます。
 あなたはこの湧き出る、生ける水を受け取っているでしょうか。

Ⅲ;悔い改めと信仰

 イエス様は、私たちに決して渇かない泉を与えてくださいます。それを受け取るためには、悔い改めとイエス様を信じる信仰が必要です。
 生ける水をぜひとも欲しいと願うサマリアの女性に対して、イエス様は16節のように言われました。この言葉は、彼女の問題の本質を突くもので、彼女が隠したいと思っていた事柄でした。どうしても欲しいという思いからでしょうか、彼女は正直に答えます。しかしこの時彼女は、イエス様の前に告白することによって、自分の罪という現実に気付くのです。イエス様は彼女のことをすべてご存知で、彼女の告白を受け止められました。彼女の心の変化はイエス様のことを「先生」から「預言者」と見ていることからも分かります。

 サマリアの女性は自分の罪を自覚し、すぐに礼拝に意識を向けました(20)。この心の動きは不思議かもしれませんが、当然の流れだと思います。彼女は、自分の罪が明らかになり、その赦しを受けて正しく神様を礼拝する必要に目が向いたのです。自分のような者が神様を礼拝できるのだろうか。出来るとしたら、一体どこで、どのように礼拝すればいいのだろうか。イエス様は、礼拝について大切なことを教えておられます。(ヨハネ4章23-24節)
 神様は形だけの礼拝者を求めてはおられません。まことの礼拝者とは、神様を信じ、罪を悔い改め、御霊と真理によって心から神様を礼拝する人のことです。サマリアの女性は、イエス様との会話によってすべての罪、問題をイエス様の前に置くこととなりました。そして彼女は、悔い改めと信仰を持って主の前に出る礼拝者となりました。

 礼拝とは、心から神様を賛美し、敬い崇めるということです。そしてその時の心は、神様に受け入れられ、喜ばれるものであるべきです。私たちが神様を礼拝する時、そこには様々な思いがあります。その心の思いは、時には罪を意識する思いであったり、ストレスや多くの問題や悩みであったりします。私たちは、そのような思いを全て主なる神様の御前に置くことが出来るのです。私たちは、抱えている重荷を神様の御前におろすのです。そして神様を見上げて礼拝し、祝福を求めるのです。すると神様は、私たちの心の思いに答えてくださり、御手を指し伸ばしてくださるのです。私たちは、心の重荷をおろして心から神様を礼拝しましょう。

 私たちは、イエス様が約束してくださっている「決して渇かない泉」「永遠のいのちへの水」を心に注がれているでしょうか。イエス様は、決して渇かない泉を私たちに与えて下さいます。そのためにイエス様は、私たちに近づき声をかけてくださいます。そしてイエス様が与えてくださる「泉」は、永遠のいのちへの水が湧き出るほど力強いものです。それを受け取るためには、罪を悔い改めてイエス様の救いを信じる信仰です。信じて受け取りましょう。

<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。イエス様、あなたが私たちに与えて下さる生ける水は、決して渇くことなく、永遠のいのちへの水であることを心から感謝致します。イエス様、私たちの心は渇き、力を失ってしまいます。どうか私たちの心に生ける水、決して渇かない泉、永遠のいのちへの水で溢れさせて下さい。
 今、私たちは、罪を悔い改め、様々な重荷を主の御前に置きます。信仰をもって神様を見上げ、心から礼拝します。私たちの心をきよめ、導いて下さい。
 暑い日が続きます。一人ひとりの健康を支えて下さい。台風や大雨による被害が出ている地域に神様の守りの御手が差し伸べられますように。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が終わり、武力衝突を繰り返している地域での争いが終わり、世界に平和が訪れますようにとお願い致します。
 この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。」