今年の御言葉
「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」 ピリピ人への手紙4章6-7節
明けましておめでとうございます。2024年、今年もよろしくお願い致します。私たちは、日曜日から月曜日、月曜日から火曜日というように毎日の生活を送っています。今日は、月曜日です。カレンダー的には、昨日の日曜日から月曜日になっただけです。それはいつもと変わらず、昨日から今日になったということです。でも今日は、2024年1月1日。昨日は、2023年12月31日でした。昨日から今日という単純な変化ではなく、2024年という新しい年が始まった大きな、大きな意味があります。年末と年始ということで、何か羽目を外しても(年越しのために徹夜をしても)許されるような、ちょっと気が緩むような気分にさせてくれます。子どもたちは、お年玉を楽しみにしていたことでしょう。油断せず、気を引き締めてお金を使いすぎることがないように気を付けましょう。
私たちは、新しい年を迎えて、心新たに主を見上げて歩んでいきましょう。この一年、神様は私たちにどのような日々を用意しておられるでしょうか。何があるのか雲をつかむような感じですが、パウロは、「思い煩わないで」と私たちにその秘訣を教えます。共に御言葉に耳を傾けましょう。
Ⅰ;主にあって喜びましょう
私たちは、思い煩うことなく、いつも主にあって喜ぶことが出来ます。パウロは、ピリピ人への手紙の中で何度か「喜び」について書いています(2:18、3:1)。パウロはこのことがどれだけ大切であるかを知っていました。彼にとっては、喜ぶことはいやなことではなく、当然のことでした。けれども、パウロの歩みは、必ずしもいつも喜べる状況だったわけではありません。パウロの伝道は困難と迫害の連続でした。パウロがピリピでの伝道をした時にも、困難と迫害がありました。ピリピのクリスチャンたちは、パウロが直面した問題を目撃していました。パウロとシラスがピリピで伝道した時、ちょうどそこに占いの霊にとりつかれた女奴隷がいました。パウロは、彼女を癒し悪霊から解放しました。ところが女奴隷の主人は、儲けがなくなったので、パウロたちを捕らえて役人に渡してしまいました。その結果、パウロとシラスは、何度も鞭打たれ牢獄されるということになりました。まさに困難の中での伝道となりました(使徒16章)。その他にもパウロは伝道旅行の中で、鞭打たれ、石で打たれ、船が難船し、川の難、盗賊の難、迫害など私たちの想像出来ないような試練に遭い、考えられない苦しみ痛みを経験しました(Ⅱコリント11:24-27)。そしてピリピ人への手紙を書いている時、パウロはローマの獄中にいて、いつ殉教するかもしれないという状態でした。人間的に見れば決して喜べる状況ではありません。
けれどもそのような状況から出て来た言葉は、「いつも喜びなさい」でした。何故このように言えたのでしょうか。パウロの心境は、「もう知らない。どうにでもなれ」と投げやりの気持ちだったのでしょうか。そうではありません。では、財産があること、地位があたられること、自分の生活が保障され安心して暮らせるから喜んだのでしょうか。それも違います。何でも順調に進み、成功したことを喜んだのでしょうか。パウロは逆境の中にいました。ではパウロは何を喜んでいたのでしょうか。ピリピ2章13~14節「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。」、そして4章13節「私を強くしてくださる方によって、私はどんなこともでもできるのです。」にその答えがあります。すべてのことは神様の御心によって定められ、神様が事を行われることをパウロは知っていたのです。パウロは、神様に導かれ、神様の御手の中にあることを喜んでいたのです。彼は主によって強められ、守られているという確信があり、どんな状況でも主は最善をしてくださるという信仰があったのです。
ですからパウロは「いつも主にあって喜びなさい。」と言うのです。この「主にあって」は、先ほど見たように、神様の御手の中にあって、神様の導きの中にあるのだから、神様が事を行われるのだからということです。そして主なる神様は、いつも私たちを祝福しよう、主の御心と喜びで満たそうとしておられるのです。だから私たちは、思い煩わないで、いつも主にあって喜ぶ日々を過ごすことが出来ます。2024年がそのような一年であるように祈りましょう。
Ⅱ;感謝をもって祈りましょう
私たちは、思い煩わないで、感謝をもってささげる祈りと願いによって、願い事を神に知っていただきましょう。「思い煩わない」という言葉は「心配しない」とか「いらだってはなりません」とも訳すことができます。とは言っても思い煩わないことは難しいことです。ともすれば私たちは、いつも思い煩うことがあるからです。
以前、長い間信仰生活を送っている人のことを聞いたことがあります。その人は、ピリピ人への手紙4章6~7節の御言葉を暗唱していて、「思い煩わないで主を信頼してこう」と何度も言っていたそうです。でも毎週のように病院に行き、不安を訴え、薬を出してもらいます。そして、いつも手元に一ヶ月分の薬がないと落ち着かないというのです。それだけではなく、さらに予備の薬を取っておくという具合でした。その人は、「思い煩わないで神様に祈ろう」と決心をするのですが、思い煩って、悩んでいないと落ち着かないという感じでした。その人は、不安や問題が解決されること願いますが、一つ解決が与えられるとすぐに別の問題を見つけ出して思い煩うのだそうです。そのような繰り返しの中で、その人は、感謝をもって祈ることがなく、口から出てくる言葉は、不安や悩み事となっている状態でした。
私たちは、それほど極端な状態になることはないでしょう。けれども、思い煩いによって心が支配されることがないわけではありません。そして一度思い煩いに陥ると、そこから脱出することが難しいのも事実です。私たちは、神様に何でも祈り、すべてのことを主に委ねています。でも祈った後、すぐにこの事はどうだろうか、あのことはどうだろうか、最後には神様に祈ったけど本当に大丈夫だろうかなどと思ってしまうこともあるのではないでしょうか。これが思い煩いです。
ある人は「人間の思い煩いとは、結局は人の心が本来向けられるべきお方、神から離れてしまって、自分自身や何かの事物に向けられている時に起こる現象である。」と説明します(新聖書講解シリーズ8 239頁)。「思い煩い」「行き過ぎた心配」「いらだち」は、私たちを愛し、罪を赦し、祝福してくださる神様から離れ、神様の導きを見失う時に私たちの心を支配します。似たようなことで、「思い悩む」という言葉があります。これは思い煩いと紙一重だと言えます。私たちは、悩み考える事はあります。けれども、もし私たちの心が悩み事、考え事で支配され、信頼すべき神様を忘れるならば、それは思い煩いとなるのです。
私たちはどうすれば良いのでしょうか。一緒にピリピ人への手紙4章6節を読みましょう。パウロは「あらゆる場合に感謝をもってささげる祈りと願いによってあなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」と勧めています。「あらゆる場合に」とあるように、調子よく順調に歩んでいる時だけではなく、思い煩いや不安なことがある時も、マイナスの方法に向かっているのではないかと思われる時も私たちは祈りましょう。しかも「感謝をもってささげる祈りと願い」によって祈るのです。思い煩う時、私たちは、もうだめなのではありません。私たちの心の切なる思いを父なる神様に知っていただくことが出来るのです。憐れみ深い神様は、私たちを見捨てることをしません。「インマヌエル」と呼ばれるお方は、私たちと共にいてくださり、私たちの現状をよくご存じで、私たちの祈りに耳を傾けてくださるのです。
皆さんの2024年(そして2024年度)が、思い煩いや不安ではなく、いつでも、どんな場合でも、感謝をもって主なる神様に祈る言葉で溢れるようにと願います。
Ⅲ;神の平安が守ってくれます
「思い煩わないで」いつも喜び、あらゆる場合にささげる祈りと願いによって主なる神様に祈った時、どのような結果となるのでしょうか。パウロは、そのことも教えてくれています。これは、本当に素晴らしい約束です。これも一緒に読みましょう。ピリピ人への手紙4章7節。「そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」
なんという素晴らしい確信に満ちた約束の言葉でしょうか。これは、パウロの実感のこもった言葉です。彼は、先ほど見たように私たちの想像をはるかに超える苦労を経験し、踏んだり蹴ったりの伝道旅行でした。パウロの伝道旅行は、思い煩いと不安と恐れと困難のオンパレードの状態でした。けれどもそのよう中でパウロは、主に祈ったのです。そしてどのような状況にあっても主なる神様の御手があり、守られ、御心が行われることを知ったのです。そしてパウロは、「私を強くしてくださる方によって、私はどんなこともでもできるのです。」と告白することが出来たのです。
またパウロの心には、旧約聖書にある励ましもあったのではないでしょうか。箴言3章6節「あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ、主があなたの進む道をまっすぐにされる。」箴言16章3節「あなたのわざを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画は堅く立つ。」詩篇118篇5節「苦しみのうちから 私は主を呼び求めた。主は答えて 私を広やかな地へ導かれた。」、詩篇118篇8節「主に身を避けることは良い 人に信頼するよりも良い。」
私たちは、不安や恐れ、悩み、問題、困難など避けて通ることは出来ません。そのような人生の中で私たちは、神様と出会い、イエス様の十字架の救いを信じ、イエス様を信じ神様を信じて歩んできました。そして、信仰をもってからは、多くの事柄を祈ってきたことでしょう。そして神様の答えをいただきながら歩んできたはずです。私たちの祈りは、聞かれます。主なる神様ご自身が私たちの祈りに耳を傾けてくださるのです。そして神様ご自身が平安を与え、私たちの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくださるのです。神様ご自身が防御となり、守備隊のように私たちを守るのです。
皆さんの一年が、何があっても、すべての理解を超えた神の平安で満たされ、皆さんの心と思いが私たちの救い主イエス様にあって守られますようにと願います。
私たちは、思い煩わないで、いつも主にあって喜び、あらゆる場合に感謝をもってささげる祈りと願いによって主に祈りましょう。そして神様からの平安とイエス様の守りを信じて、主の御名を賛美し礼拝する日々を過ごしましょう。
<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。2023年の歩みが神様によって守られ、こうして2024年を迎えることが出来ました。心から感謝致します。新しい一年を神様への礼拝によって始められる恵みを感謝致します。神様、今日から始まる2024年の歩みを導いてください。私たちの歩みには何が起こるのか予想もできません。しかし私たちは、パウロが勧めるように「思い煩ないで」いつも主にあって喜び、祈れることをありがとうございます。神様、私たちは、祈ります。主の平安で満たし、守り、導いてください。
神様、世界中が神様の平安で満たされ、神様の平和で導かれるようにとお願いします。神様、一人一人の生活を守り、健康を支え、仕事を祝福し、すべての必要を満たしてください。この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」