<子どもたちへ>
先週は、ギデオンを学びました。ギデオンは、神様の励ましと神様のみわざによって、300人の兵士と一緒に135000人もの大軍に勝利をしました。今日は、聖書では士師記と言われる時代に生きていた一つの家族の話です。
「困ったな?食べ物がなくなってしまった。」とエリメレクが頭を抱えています。「どこの畑でも何も取れないみたいだわね」とナオミがため息をつきます。エリメレクとナオミ夫婦の住んでいる地域では、飢饉のためにとても苦しい状況になっていました。二人には、マフロンとキルヨンという二人の息子がいました。飢饉と言うのは、作物が何も取れず、食べるものが手に入らなくなってしまうことです。そんなことになったら、大変ですよね。
「ベツレヘムではもう生活が出来ない。家族全員で生活できる場所に移動する事にしよう」とエリメレクは引っ越しを決めました。こうして、エリメレクは、奥さんのナオミと二人の息子を連れてベツレヘムから近くのモアブという国に移り住みました。
エリメレク家族がモアブに移り住んでしばらくして、エリメレクは死んでしまいました。ナオミと二人の息子たちが遺されました。それから何年かしてマフロンとキルヨンは、モアブの女性と結婚しました。マフロンの妻はルツ、キルヨンの妻はオルパです。それから10年後今度は、二人の息子が亡くなってしまいました。何が原因かは分かりませんが、母のナオミは、夫エリメレクと二人の息子マフロンとキルヨンを外国の地で天に送ることになってしまったのです。そうこうしているうちに、イスラエルの地域でまた、作物が取れるようになり、飢饉が終ったというニュースが聞こえてきました。そこでナオミは、「さあ、ベツレヘムに帰りましょう」とルツとオルパに声をかけてベツレヘムに向けて出発しました。
旅の途中で、お母さんのナオミは「このまま二人をベツレヘムに連れて行くことは、二人のためにならない。ルツもオルパも自分の家に帰った方が良いのではないか」と考えました。そしてナオミは、「ルツ、オルパ、あなたたちまでベツレヘムに行くことはありません。モアブの女性が異国の地で生活するのは大変なので、自分の家に帰りなさい。」と二人に話します。「お母さん、そんなことを言わないでください。ついて行きます。」ルツもオルパもナオミと分かれたくないのです。「あなたたちのこれからの人生を考えると、自分の家に帰ることが幸せなんだよ。」とナオミは二人を説得します。弟嫁オルパは、「分かりました。お母さん、今までありがとうございました。」と別れを告げて家に帰って行きました。しかし兄嫁のルツは「私は、どこまでもお母さんについて行きますよ。お母さんの民は私の民です。お母さんが信じる神様は、私の神様です」と信仰告白をしたのです。「分かったわ。それでは一緒にベツレヘムに帰りましょう。」
こうして二人は、ベツレヘムに帰って新しい生活を始めます。でもそれは大変なことでした。ルツは、ナオミとの生活のために畑を見つけてその畑に落ちている落穂を毎日拾い集めて食料にするのです。ルツが落ち穂を拾集めていた畑が、ボアズと言う人の畑でした。なんとボアズは、エリメレクの親戚でした。ボアズは、エリメレクとその家族に起った出来事を聞いていたのでしょう。ナオミのためにルツが一生懸命働いている姿に感心し、ルツを特別に扱ってこれ以上困ることがないようにしてくれました。
そしてボアズは、ルツをお嫁さんとして迎えることにしたのです。二人の間に子どもが生まれました。その子の名前はオベデです。オベデは、ダビデ王のおじいさんです。そしてダビデの子孫としてイエス様が誕生します。不思議な神様の導きの中で、ルツは救い主イエス様につながる出来事に加えられることとなるのです。神様は、皆のこともちゃんと導いてくださり、一番良いことをしてくださいます。覚えておきたいことは、僕たちはルツと同じように、主なる神様を「私の神様」として信じることです。今週の御言葉を読みましょう。「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」ルツ記1章16節
<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様は、ナオミを助け導き、不思議な神様の御手でルツを守り支えておられました。今も神様が、僕たちを守り導き、支えてくださることを信じます。神様、どうか毎日の生活を導いてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」
「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」 ルツ記1章16節
<適用>
私が聖書学院に入学する前に、車の免許を取るために教習所に通った時の事です。私が教習所に通い始めたのは、1月になってからでした。私は、1月から3月までの間、教習所に通う人が増えることを知りませんでした。3か月あれば終わるだろうと思っていたのですが、余りに人数が多く、全てを終わりにすることが出来なくなりました。当時は、学科だけを終了し、実技を後回しに出来ました。私は、実技を半分残して学院がある羽生に引越しをすることとなりました。最後の教習所の日、私は、あと一回実技の授業を受けなければ半分終わらないという状況でした。私が受けるべき実技は、全ての時間、予約で埋まっています。私はキャンセル待ちを申し込み、心の中で「神様今日残りの一回を受ける必要があります。どうか受けさせてください」と祈りました。その日、数人のキャンセルがありました。しかしキャンセル待ちをしているのは10人以上いますので、くじ引きとなりました。くじ引きの棒が出され、一人ずつ引いていきます。外れてしまった人からはため息がもれます。私は、数本並ぶ棒を凝視しながらどれを引こうか迷っていると、一本だけ光っているではありませんか。私は、これだと思い引いてみると、なんとあたりでした。私は、「さっき光って見えたのは何だったのだろうか」と思いながらくじ引きの棒を元に戻して、再度回収された棒を見てみました。光って見える棒はありませんでした。私は、神様に感謝の祈りをしながら、何とも不思議な出来事だったと思ったのを覚えています。 ルツ記に登場するナオミやルツ、そしてボアズは、神様の不思議な導きによって出会い、祝福を受けた人たちだという事が出来るでしょう。ご一緒にルツ記を見ていきましょう。
Ⅰ;出会いの中にある
私たちには、不思議な神様の導きの御手が差し伸べられています。それは、人との出会いの中にあります。
ルツ記の時代的背景は、「さばきつかさ」が治めていたころですから、ギデオンが活躍していた士師の時代から預言者サムエルが登場するまでの時代です。そのような時代のある時、イスラエルの地で飢饉がありました。ユダのベツレヘム出身のエリメレクとその妻ナオミと二人の息子は、飢饉から逃れるためにモアブの野に移り住みました。今でも異国の地で生活するのは大変ですから、ルツ記の時代彼らが異国の地で暮らすのは大変な苦労があったと思います。さらにその地で夫エリメレクは死んでしまいました。ナオミは、異邦人の地で未亡人となってしまいました。二人の息子マフロンとキルヨンは、それぞれモアブの女性を妻として迎えました。その女性が、ルツとオルパです。まず、この結婚によって不思議な神様の導きを受けたのが、ルツとオルパでした。特にルツは、長男の妻として姑のナオミから大きな影響を受けたことでしょう。
「人生は、出会いで決まる」という言葉があります。人との出会いについて調べていたら、人は一生の間、何人と出会うことが出来るのだろうかという事の計算の方法が紹介されていました。これは、一日に1人の新しい人と出会うと仮定して計算する単純な方法です。人生100年と言われる時代ですから、一生を100年として考えます。一日1人ですから一年で365人です。100年ですから「365人×100」となります。答えは、「36,500人」となります。日本の人口は約1億2000万人ですし、世界の人口は70億人ですから、36500人はそれほど多くはありません。この計算では、幼少期も入っていますし、学校や幼稚園の先生など多くの人と出会う機会のある人は別として、実際にはもっと少ないかもしれません。そのような出会いの中で私たちは、人生の大きな影響を受けるという事もあります。
ルツは、マフロンとの結婚によってナオミと出会いました。モアブの女性がイスラエルの民と結婚するということも不思議な出会いと言えます。しかしこの出会いが、ルツの生涯を大きく変えることとなりました。それは、ベツレヘムに帰る途中のナオミとルツとのやり取りの中で知ることが出来ます。ナオミは、モアブの自分の家に帰るように促しますが、それに対してルツは、「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です」と答えるのです。これは、ルツの確信であり信仰告白です。ルツは、ナオミたちの家族の姿を見ていてモアブで礼拝されている神々ではなく、ナオミが信じている神様こそ、この世界を造られた本当の神であるという事を知ったのです。だからルツは、モアブ人ではなく、イスラエル人として生きる事、主なる神様を信じて生きることを宣言するのです。
私は牧師の家庭に育ちました。小学4年生の時に、将来は牧師になるのだろうと考え始めました。そんな時に担任の先生から、「赤松君は牧師さんになるんだから、お父さんのしていることを見て勉強しなさいね」と声をかけてもらったことがありました。私は、その一言を忘れることができません。その一言があったから牧師になる道を進んだのではないのですが、私を励まし続けた言葉となりました。
私が、伝道師になってしばらくしてある人と話をしている時には大きな気づきを与えられました。その時私は、その方と個人伝道について話していました。色々話をしている中でその方から、「君が個人伝道をしてその人がイエス様を信じたら次にすることは何だろうか?」と質問を受けました。私は、色々考えて、「その人をフォローすることでしょうか」と答えました。するとその方は、それも確かに大切だけれども、それよりも先にする重要なことがあるだろう、と言うのです。私が「う~ん」と考え込んでいると、その方は「感謝の祈り」と一言。その感謝とは、一人の人がイエス様を信じたことの感謝、そのために神様が自分を用いてくださったことへの感謝です。そしてこの神様への感謝は、大きな喜びの感謝となり、神様の栄光をほめたたえるものとならなければならないと教わりました。このことは、私のクリスチャンとしての歩みに大きなインパクトを与えることとなりました。
皆さん、私たちもこれまで多くの人との出会いを経験して来ました。その中には、私たちの人生に大きな影響を与えた人、多くの事を教えてくれた人などがいる事でしょう。そして私たちは、私たちに聖書の事、神様の事、イエス様の事を伝えてくれた人たちと出会うことが出来ました。その出会いは、どのような出会いだったでしょうか。おそらく自分で計画した出会いではなく、不思議な出会いだったと振り返ることが出来るのではないでしょうか。私たちは、これからも神様の不思議な導きの中で人との出会いを繰り返すこととなります。私たちは、これからの出会いの中で、出会った人に聖書の事、神様の事、イエス様の事を伝え、神様の愛を伝え、良い影響を与えることが出来るように祈りましょう。
Ⅱ;人生が導かれる
私たちの人生は、不思議な神様の導きによって支えられています。ルツは、ナオミとベツレヘムに行きました。ナオミにとっては故郷ということですが、ルツにとっては異国の地です。しかも未亡人ですから、苦労することは目に見えています。ナオミとルツの生活を支えるのは、近くの畑で拾う落穂でした。
私たちは、ルツ記の中にルツが経験するだろう苦労を知ることが出来ます。それは、ボアズの言葉の中にあります。ボアズは落穂を拾っているルツに「私は若い者たちに、あなたの邪魔をしてはならいい。と命じておきました。(9)」と言っています。未亡人や生活に困っている人は、畑で落穂を拾うという権利が認められていました。
「あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、刈るときに畑の隅まで刈り尽くしてはならない。あなたの収穫の落ち穂を集めてはならない。貧しい人と寄留者のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。(レビ記23:22)」
けれども実際には、落穂を拾いに来た人たちが邪魔され、畑から追い出されることがあったのです。またボアズは、畑で収穫の仕事をする若い者たちに「彼女にみじめな思いをさせてはならない。・・・彼女を叱ってはならない(ルツ記2:15-16)」と言っています。イスラエルの民の中には旧約聖書で規定している神様の教えを無視して、落穂を拾っている人に恥をかかせ、厳しく叱る人がいたということではないでしょうか。ボアズは、そのような事柄からルツを守ることにしたのです。おそらくボアズは、普段から落穂を拾う人を見守っている人だったのだと思います。それをルツに対しては徹底させ、わざと落穂を増やすようにもするという事までしたのです。
ルツ記には、ルツがボアズの畑に行ったのは「はからずも」と言う表現をしています。これは、「予期せぬこと、偶然」という意味合いがあります。ルツが、ボアズの畑にたどり着いたのは、人間的に見たら偶然だと思うことです。けれども神様の視点から見るとそれは、必然であり、神様ご自身の計画なのです。ボアズが、ナオミの夫エリメレクの一族に属する人であったという事実は、私たちに神様の御手がルツの人生に差し伸べられていたことを知らせているのではないでしょうか。そしてそのような神様のご計画を私たちは、不思議な神様の導きと受けとめる事でしょう。
ボアズは、エリメレクの一族であり、買い戻しの権利がある親類でした(2:20)。イスラエルの民の中では、土地を失い一族の名前が消えてしまう事のないように、親族が土地を買い戻し、一族の名前を残すことが定められていました(レビ記25:23以下)。ボアズは、エリメレクの土地を買い戻し、名前を残す権利を持っている人物だったのです。ルツにとっては、どういても出会わなければならない人でした。神様は、ルツを不思議な方法で導き、ボアズと出会わせてくださり、ルツの人生を確かな方向に導いてくださっていたのです。事の詳細は省きますが、ルツは、ボアズの妻として迎えられるのです。ボアズは先祖と辿るとイスラエル12部族の中のユダの部族に属しています。そして神様は、ボアズとルツの間にオベデを与えてくださいました。オベデにエッサイが生まれ、エッサイにダビデが生まれます。もう分かりますよね。救い主イエス・キリストの系図にルツが入るのです。異国の女性ルツが救い主の系図に入ることは、神様の救いの恵みがイスラエル人だけではなく、異邦人にまで注がれていることを示しているのです。ルツの人生は、不思議な神様の導きで溢れています。
そして私たちにもまた不思議な神様の導きの御手が差し伸べられています。買い戻しと訳されている言葉「ゴーエール」には、「贖う」と言う意味もあります。この「ゴーエール」が究極的に示しているのは、救い主イエス様による贖いです。イエス様は、私たち罪人が罪赦され、神の子とされ祝福を受けることが出来るように、十字架にかかってくださいました。私たちは、罪人として神様の裁きを受け、滅びなければならない者たちでした。けれども神様は、私たちを裁き滅ぼすのではなく、御子イエス様を身代わりにして十字架につけさばいてくださいました。イエス様は、私たちの罪の身代わりに十字架で死に、三日目によみがえり永遠のいのちの約束を与えてくださるのです。このイエス様の贖いがあるから私たちは、罪の赦しを受けることが出来るのです。私たちは、イエス様の贖い(ゴーエール)を受けて、「イエス様こそ救い主です。主なる神様こそ私の神様です」との信仰告白をすることが出来るのです。
私たちの人生を導き、私たちを罪から救い恵みを与えてくださる主なる神様を信じましょう。私たちの人生は、不思議な神様の導きに溢れています。
<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様、あなたはナオミの人生を導いておられました。そして人には不思議だと思う方法でルツの人生を導いておられました。私たちもまた、神様の不思議な導きを受けて、人と出会い、イエス様と出会い、救いの恵みを受けることが出来ました。イエス様の贖いを心から感謝いたします。私たちは、これからも神様の不思議な導きと恵みによって歩むことが出来ると信じます。神様、どうか私たちの人生を導いてください。私たちは、不思議な神様の導きに委ねます。この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。」