2025年6月1日(日)礼拝説教 ヨハネの黙示録21章1-8節 「神の国の完成」 説教者:赤松勇二師

子どもたちへ>
 ひとつ質問をします。みんなにとって「東京ディズニーランド」は、どんな所ですか。時々、東京ディズニーランドのことを「夢の国」という人がいます。東京ディズニーランドには、ミッキーマウスたちがいて、色々なアトラクションがあって、そこにいる全員が夢のような時間を過ごすことが出来る場所ということでしょうか。
 では、「天国」と聞いて、どんなことをイメージしますか。天国がどんな場所ならいいなぁと考えるでしょうか。

 これまで僕たちは、イエス様がもう一度来られる「再臨」ということを学んできました。そして僕たちは、どのようにしてイエス様を待ち望んだら良いのかを御言葉から学びました。今日は、僕たちが迎え入れられる天の御国(天国)がどんな場所なのかを教えている聖書の箇所を開きました。一緒に見ていきましょう。
 イエス様の弟子は、12人いました。その12弟子のひとりヨハネは、おじいちゃんになった時に天の御国(神の国)について幻を見る事が許されました。ヨハネさんは毎日、神様の御前に心を静めてお祈りしながら生活していました。するとヨハネは、目の前に新しい天と新しい地が現れるのを見ました。僕たちが住んでいる世界とは全く違う新しい天と地だというのです。神様が用意してくださる新しい世界は、天から地上にくだって来るのです。

 そこに誰がいるかと言うと、神様ご自身がいてくださって、僕たち一人ひとりを迎え入れてくださるのです。「神は人々とともに住み」と言われていますから、僕たちは、神様とずっと一緒にいることになるのです。
 神様がおられる天の御国は、本当に素晴らしい場所です。神様は、僕たちと一緒にいて、目の涙をすっかりぬぐい取って下さるのです。それだけではなく、死も、悲しみも、叫び声も、苦しみのないのです。どいう事かと言うと、天の御国には悲しいこと、辛いこと、嫌なことなどは起こらないのです。なぜならば、天の御国は、神様が完全に支配しておられるからです。今、僕たちは、色々な事で嫌なことがあったり、悲しいことがあったりします。けれども天の御国では、そういうことはないのです。
 そして天の御国は、光り輝いていて、神様とイエス様の光に照らされ、喜びに包まれている世界が広がっているのです。涙も叫びもないのですから、天の御国には嬉しいことがたくさんあって、皆が神様とイエス様と一緒に笑顔で過ごすことが出来るのです。

 どうしたらこの天の御国に入ることが出来るのでしょうか。ヨハネはそのことも教えています。天の御国に入ることが出来る人は、天国にある「いのちの書」に名前が書かれている人たちです。神様を信じて、イエス様を罪からの救い主と信じる人たちが入ることが出来るのです。
 イエス様は、僕たちが罪を赦されて神の子とされ天の御国に入ることが出来るようにと十字架にかかって死んでくださいました。それだけではなく、イエス様は永遠の命を約束するために死を打ち破ってよみがえられ今も生きておられます。イエス様は、イエス様を信じる全て人に永遠の命を与え、天の御国に入ることが出来るようにしてくださいます。
 このように僕たちは、天の御国への約束が与えられていますが、今のこの時も、神様は僕たちと一緒にいてくれて守ってくれるという約束が与えられています。僕たちは、罪を悔い改めて、神様を信じ、イエス様を信じましょう。

<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様は、神様を信じる全ての人を天の御国に迎え入れてくださいます。神様、僕たちにイエス様を信じる信仰を与えてください。僕たちが、神の子とされて歩むことが出来るように導いてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」

「神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、とともにおられる。」                  ヨハネの黙示録21章3節

<適用>
 先週、私は小学生の時絵を描くのが好きだったという話しをしました。実際に私は、絵をたくさん描きましたし、賞を受けることも出来ました。しかしそこには、ある秘密がありました。それは、絵を完成させる前に父に見てもらうという事でした。描き方や色の塗り方が分からない時も父に相談しました。父も絵を描くこととかデザインを考えることが好きなのです。父は、私の絵に「こうしたらいいだろう」と少し手を加えてくれます。時々兄も手伝ってくれました。でも私の絵ですから、父や兄が完成させるわけにはいきません。ですから私は、父が加えてくれたものを見ながら真似して仕上げていくのです。そうするとうまい具合に完成するわけです。自分でもできると思って一人で描いてみると、あまりよくないのです。私は、父の力を借りて実力以上のものを描くことが出来たということですね。
 さて、神様が私たちに用意してくださる神の国は、とても素晴らしいものです。そして神の国は、当然私たちが何とかするものではなく、神様が完成させてくださるものです。神様が、私たちのために完成させてくださる神の国とはどのようなものなのでしょうか。さらに御言葉から学びましょう。

Ⅰ;神様の栄光が溢れている

 神の国は、神様の栄光が溢れています。神の国に溢れているものを見る前に、神の国にないものをもう一度見てみましょう。それは、黙示録21章4節です。素晴らしい約束なので、ご一緒に読みましょう。「神は彼らの目から 涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」神の国には、涙を流すような憂いや嘆きがありません。悩み苦しみ悶える叫び声もないのです。あるのは神様の御前での喜びの叫び、感謝の賛美です。以前のものが過ぎ去って、すべてが新しくされるからです。
 このような新しい天と新しい地がどこからやって来るかと言うとヨハネは「天から降って来るのを見た(2)」と言います。10節にも「御使いは…聖なる都エルサレムが神のみもとから、天から降って来るのを見せた。」とあります。神の国は、神様ご自身が私たちにもたらしてくださるものなのです。

 そしてさらに神の国にないものが「神殿」であり「太陽と月」です。ヨハネは言います。「私は、この都の中に神殿を見なかった。全能の神である主と子羊が、都の神殿だからである。都は、これを照らす太陽も月も必要としない。神の栄光が都を照らし、子羊が都の明かりだからである。(黙示録21:22-23)」
 もともとイスラエルの民にとって神殿は、神様が臨在される場所でした。人々は、神殿で罪の贖いのためのいけにえをささげ、神殿で主を礼拝するために巡礼をしていました。そして神殿には、ユダヤ人が入れる場所と異邦人が入れる場所が明確に区別されていました。これが地上の神殿の姿です。しかし、天の御国、天の神の国には神殿がないのです。なぜならば、神様ご自身とイエス様が神殿そのものとなり、信じるすべての人を受け入れてくださるからです。神様を信じる誰もが、何にも妨げられずに、神様の御前に出て永遠に神様を礼拝することが出来るのです。そして神の国では、光のもととなる太陽と月は必要ありません。神様ご自身の栄光が全体を照らすので、誰もが神様によって照らされ、輝くことが出来ます。

 このように神の国は、全能の主なる神様と救い主イエス様の栄光が満ち溢れている場所です。そして神の国には、地上で私たちが経験する苦しみ悲しみ、嘆き、憂いはありません。神様は、やがて神の国で受ける私たちの恵みと祝福を約束してくださっています。同時に神様は、今現在、様々な状況、紆余曲折の中を生きている私たちに同じように語りかけてくだっています。
 「涙とともに種を蒔く者は 喜び叫びながら刈り取る。種入れを抱え 泣きながら出て行く者は 束を抱え 喜び叫びながら帰って来る。(詩篇126:5-6)」今は、苦しみがあっても神様が喜びを与えてくださるという約束です。
 「夕暮れには涙があっても 朝明けには喜びの叫びがある(詩篇30:5)」神様は、私たちのことをすべて知ってくださっていて、常に恵みを与えてくださいます。
 そして昨年度の御言葉としていたピリピ4章6-7節です。「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」などなど私たちには、神様からの素晴らしい約束がたくさん与えられています。

Ⅱ;常に開かれている門

 神の国の門は、常に開かれています。天の都の門は、決して閉じられることはありません。「都の門は一日中、決して閉じられない。そこには、夜がないからである。(黙示録21:25)」私は、この御言葉を読んで、これは神様の大きな憐れみだなぁと感じました。そして「太陽と月がない」と言う事と「夜がないからである。」と言う事の意味が分かりました。
 太陽と月があると言う事は、昼間と夜が存在すると言う事です。地上のエルサレムの町は、城壁で囲まれています。そして人々は、門から出入りをします。この城壁の門は、昼間開けられ自由に行き来し、夜になると閉じられて誰も入ることが出来なくなります。それは城壁の中の町を外敵から守るためです。私たちも昼と夜があるので、夜になると戸締りをして休みます。暗くなるので防犯上そのようにします。
 しかし神の国、天のエルサレムには太陽と月がないし、神様の栄光が永遠に輝くので常に明るく夜がありません。だから門は閉じられることがないのです。神様にとって「一日は千年のようであり、千年は一日のようです(Ⅱペテロ3:8)」と言われているので、神の国では時間の感覚がないかもしれません。でも今の私たちの表現で表すならば、「神の国は、365日・24時間年中無休で光り輝き、都の門が開いている」となるでしょうか。

私は、「白夜」と言うものを経験したことがありませんが、最近フィンランドで宣教している一人の日本人の方の本を読みました。その本に「夜のない夜」という段落がありました。その方が住んでいる地域は、6月から7月は、太陽が地平線から沈むことがなく、1日24時間輝き続けるのだそうです。その逆に全く太陽が顔を出さない時期もあるそうです。最初の事は、夜がない現象が珍しく興奮していたようですが、夜10時を過ぎても明るい夜はまったく眠くならならず、やっと眠りについたと思ったら2時間くらいで朝の7時を迎えてしまったのだそうです。この方は、この方は、夜のない季節の過ごし方を習得するのに苦労したと書いていました。
 神の国には夜がありません。常に明るく主の栄光で照らされていると言われています。そしてその輝きは「最高の宝石に似ていて、透き通った碧玉のようであった(黙示録21:11)」また「都は透き通ったガラスに似た純金でできていた(18)」と言われています。神の国は、私たちの想像をはるかに超えて美しく輝いている場所という事です。そこで私たちは、どのように過ごすのでしょうか。夜がないことに戸惑うことがあるのでしょうか。おそらく、そんな心配をすることはないのだと思います。また夜がないという事に疲れたり、飽きてしまったりすることはありません。なぜならば、私たちは神様からの恵みで満たされ、常に神様を賛美し礼拝し、主の栄光を仰ぎ見ることが出来るからです。

 そして「門が決して閉じられない」という約束の言葉は、神様の招待状だと思うのです。これは、神の国はいつでも門が開いていて、いつでも神様は、迎え入れる準備が出来ているということだからです。この門を通ることが出来る人は「小羊のいのちの書に記されている者たちだけである(黙示録21:27)」と言われています。これは、制限を設けているのではなく、イエス様を信じる全ての人は神の国の門を通ることが出来るという約束なのです。だから神様は、入れない者にならないで、信仰をもって入れる者となるようにと私たちを招いておられるのです。
 あなたは、神の国に招かれています。そのためにイエス様は、ご自身のいのちを投げ出して救いの道を開いてくださったのです。神様の招きに信仰をもって応答しましょう。

Ⅲ;今を生きる私たち

 神の国の完成は、今を生きる私たちへの励ましとなります。ヨハネの見た神の国、天の都は、私たちがいずれ迎え入れられる場所です。神の国は、涙もなく悲しみも叫び声も苦しみもない場所でした。また、夜がなく常に神様の栄光とイエス様の光に照らされている場所であり、門は常に開いているのです。神の国の完成は、確かに将来的な約束であり希望です。しかし神様は、すでに私たちに天の祝福を与え、導くと約束をしてくださっています。だから私たちは、今を生きることが出来るのです。

 イエス様は、言われました。「神の国は、目に見える形で来るものではありあません。『見よ、ここだ』とか、『あそこだ』とか言えるようなものではありません。見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。(ルカ17:20-21)」これは黙示録21章の描写と矛盾するものではありません。「神の国」と言う時、それは神様の支配と言うことも出来ます。イエス様は、私たちが主なる神様を信じた時、私たちが神の子とされ神様の支配の中を歩むことが出来ると教えてくださったのです。神様は、私たちの心に住んでくだり、私たちの人生を導いてくださいます。イエス様は、そのことがまさに、神の国が私たちの心に実現していると言ってくださったのです。と言う事は、私たちは、今、すでに神の国の恵みを受けているし、神の国の素晴らしさを味わいながら歩むことが出来るという事です。私たちは、地上の歩みの中では「悲しみ、痛み、叫びなど」を経験します。しかしそのような経験を通る中で、私たちは孤独ではありません。神様ご自身がそのただ中にいてくださるからです。

 へブル人への手紙13章15節には、神の国を求めて歩む私たちの生き方に関する勧めがあります。「それなら(神の国を求めているのだから)、私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。」これが、今を生きる私たちの生き方です。
 最後に今週の御言葉をご一緒に読みましょう。「神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、とともにおられる。」

<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。ヨハネは、やがて来る新しい天と新しい地の幻を見ました。天の都には神様がおられ、神様の素晴らしさが満ち溢れている場所だと言われています。私たちは、天の都を目指して、地上の生活を歩みます。神様、どうか私たちの歩みを祝福し、私たちの人生を導いてください。神の国が完成する時、私たちは神様の御前で主の栄光に包まれ礼拝することが出来ることを感謝いたします。だから私たちは、今、この瞬間信仰をもって主なる神様を見上げ、賛美しつつ歩みます。神様、さらに私たちの心を天の御国への希望で満たしてください。  この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。」