使徒の働き16章11-24節 「神の導きを信じて」
<子どもたちへ>
今年の夏、僕は東京ドームで行われた野球の試合を見に行きました。久しぶりの東京で迷ってしなうのではないかと心配したけれど、駅には案内の看板がたくさんありました。その案内の通りに進んでいくと無事に東京ドームに到着することが出来ました。とっても便利になりました。
パウロの時代、旅行をするのは船に乗ったり、歩いたりの旅となりました。そして移動手段や通る道になどについて前もって色々と調べておく必要がありました。パウロとシラスは、しっかりと準備をして2回目の伝道旅行に出かけました。パウロたちは、計画を立てていましたが、色々変更することになりました。その変更は、神様がパウロたちを導いていたのです。こうしてパウロたちは、ピリピと言う町に到着します。
「さて、ピリピの町まで来たけれど、この町にはユダヤ人の会堂がないみたいだね。」パウロは、同じユダヤ人たちが集まる場所を探しました。シラスが「川に行ってみないか。そこには神様を信じている女の人たちが集まっているようだよ。」と言います。二人が川に行ってみると、そこに女の人たちが祈るために集まって来ました。パウロは、集まって来た人たちに、神様の事、イエス様の十字架の救いについて話をしました。その中の一人にリディアと言う人がいました。神様が、リディアの心を開いてくださったので、彼女はイエス様を信じました。リディアだけではなく、彼女の家族もパウロの話しを聞いて、イエス様を信じて、家族全員が洗礼を受けました。パウロは、リディアの家に泊まりながら、神様の事を人々に伝えることになりました。
ある時、一人の女性がパウロたちの後をついて回って来ます。その人は、「この人たちは、イエス様の十字架の救いを伝えている人たちです。」とずっと叫び続けていました。パウロの伝道を助けているかというとそうではなく、彼女は悪霊に支配されていて叫び続けて、パウロの話しの邪魔をしているのです。パウロは困ってしまい、「イエス様によって命じる、悪霊よ、出て行きなさい」と言って、女の人を悪霊から解放してあげたのです。すると彼女によってお金もうけをしていた人たちが、「パウロめ、あいつは旅人なのに俺たちの商売の邪魔をしている」と怒り出して、パウロとシラスを訴えたのです。パウロとシラスは、捕まってしまいむち打ちにされ、一番奥の牢屋に入れられてしまいました。
その夜、パウロたちが入れられていた牢屋から声がします。「体が痛い、どうしてこんな目に合うのだろうか」そんな愚痴だったでしょうか。そうではなく、パウロとシラスは、なんと神様に祈りながら、賛美をしているのです。何も悪いことはしていないのに鞭うたれ、牢屋に入れられてしまったパウロたちです。それでもパウロとシラスは、神様がいつも一緒にいて、導いてくださることを信じて感謝し、祈り賛美をするのです。
その時、「ガタ、ガタ、ガタガタガタ・・・」と大きな地震がありました。どれくらい大きいかと言うと牢屋の扉が壊れしまい、牢屋にいた囚人たちの鎖が外れてしまうほどの大きな地震でした。牢屋を守っていた看守は、牢屋の扉が壊れて全部開いているのを見て、「あ~もう駄目だ、みんな逃げてしまった。死んでお詫びしよう」と決めました。その時、パウロが「そんなことをしてはいけない。私たちは、みんな逃げないでここにいますよ」と声をかけました。看守はびっくりして、「先生がた、救われるためには何をしたら良いでしょうか。」パウロとシラスの前にひざまずきました。看守は、パウロたちが伝えている神様の救いのことを知りたいと思ったのです。
パウロとシラスは、とっても大切なことを教えてあげました。今週の聖句を一緒に読みましょう。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」使徒の働き16章31節。
パウロは、今でも僕たちに「主イエスを信じなさい」と言っています。僕たちは、イエス様の十字架による救いを信じて罪を赦され、救われます。そしてこの救いの恵みは、僕たちから周りの家族や友だちに広がっていきます。僕たちもイエス様を信じましょう。
<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。僕たちは、イエス様を救い主と信じます。この素晴らしいイエス様の救いが僕たちを通して周りのお友だちに広がっていくように導いてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」
使徒の働き16章31節
<適用>
私が、東京の専門学校に通うために上京した時、福音伝道教団の東京の教会が開拓していた下北沢チャペルに通う事にしました。私は、礼拝に出席する前に、場所を確認するために下見に出かけました。私が知っているのは、住所とアパートの名前だけでした。初めての下北沢、私は住所が書かれた紙を手にして電信柱につけられている地番を頼りに捜しました。歩いても歩いても、教会のある住所にたどり着けません。20~30分くらい探し回ったところで、私は気が付いたのです。なんと私は、小田急線の駅を3駅ほど戻ってしまったのです。それまで私が暮らしていた群馬では、歩いて三つも駅を戻ることなど不可能なのです。私は、教会を見つける前に「東京って怖い」という事を知りました。私は、また20~30分かけて下北沢駅に戻り、今度は本屋さんを探し、地図を見させてもらい、ある程度の場所を把握して教会の場所を捜し当てることが出来ました。やはり道案内が必要でした。聖書は、私たちが神様の導きを受けて歩むことが出来るという事を教えています。
Ⅰ;神様によって扉が開かれます
神様によって扉が開かれていきますので、私たちは神様の導きを信じて歩みましょう。
神様によって扉が開かれた一つ目の事は、伝道旅行のための協力者が与えられたことです。それは、リステラでのことでした。このリステラと言う場所は、第1回目の伝道旅行の時に迫害を受けてパウロが石打にされた町でした。しかしここに教会が誕生したので、パウロはそこに集まっているクリスチャンを励ますために立ち寄りました。するとそこに「テモテ」と言う青年がいたのです。テモテは、その地域のクリスチャンたちの間で評判の良い人でした。パウロは、テモテを伝道旅行に連れて行きたかったので、割礼を施します。エルサレム会議では、異邦人クリスチャンに割礼を受けさせる必要はない、と決めたのに、テモテには割礼を施します。矛盾しているのではと思われますが、テモテの父親がギリシャ人であることは、テモテがユダヤ人に受け入れられるのに大きな壁となります。ですからテモテへの割礼は救いのためではなく、テモテがユダヤ人と自由に交わりを持ち、宣教しやすくするために必要なことでした。このような神様の導きによって宣教は、パウロとシラスそしてテモテによって前進し続けることとなりました。
神様によって開かれた扉の二つ目は、新しい宣教地の拡大です。パウロたちは、まだ福音を語っていない地域に進んで行こうとするのですが、聖霊によって小アジアと言われる地域での働きが制限されるのです。6節から9節を見る限り、神様がパウロたちの宣教を導いておられることが分かります。パウロ自身も神様が何をしようとしているのかを祈り求めていたことでしょう。アジヤの西の端トロアスに来た時、パウロはマケドニアに来て助けてくださいとの幻を見ました。パウロは、神様のお考えがはっきりと分かりました。それはヨーロッパで福音を語ることでした。パウロは自分が見た幻を同行の人々に分かち合い、主の計画を共有しながら進みます。10節から「私たち」と言う表現になっています。これは、使徒の働きの著者であるルカが、このトロアスでパウロたちに合流したということです。
パウロたちは、神様の導きを信じて歩みました。神様がパウロを導いた方法は、不思議な方法と言えるかもしれません。今でも神様は、様々な方法で私たちを導いておられます。では私たちは、どのように神様の導きやお考えを知ることが出来るのでしょうか。「全集中!」とか言って、特殊な方法があるのでしょうか。そのような修行があるわけではありません。様々な解説が付け加えられているバイブルナビの中にこのような説明が書かれてありました。
「神の御心を求めるときは、(1)あなたの計画が神のことばと調和しているのか確かめよう。(2)成熟したクリスチャンに助言を求めよう。(3)自分の動機を確かめて、自分がしたいことをしようとしているのか、それとも神が望んでおられることをしようとしているのか考えてみよう。(4)神が御心に従って、道を開いたり閉ざしたりしてくださるように祈ろう。」
私たちが神様の導きを知る方法は、心を静めて祈り求め、聖書を読むことです。聖霊なる神様は、私たちの心を開き、私たちに気づかせてくださるのです。神様の導きを信じて歩みましょう。
Ⅱ;救いの恵みが広がっていきます
救いの恵みが広がっていきますので、神様の導きを信じて歩みましょう。
パウロ一行は、神様の導きを確信して、ヨーロッパに渡りマケドニアの第一の町ピリピに到着します。ここでは、ユダヤ人たちが少なく、女性たちが祈りのために川岸に集まっていました。パウロはまずそこに行って宣教を始めます。すると紫布の商人リディアが心を開いて、イエス様を信じ、その家族も信仰に導かれました。ヨーロッパで最初の決心者です。
また川岸の祈り場に行く途中、占いの霊につかれた女性がうるさく叫ぶので、パウロはイエス・キリストの御名によって占いの霊を追い出しました。この女性がもはや占いをすることは出来なくなった時、雇い主は儲かる望みがなくなったので、パウロとシラスを捕らえて訴えます。ピリピの役人からすれば、見知らぬユダヤ人が騒ぎを起こしたと思えたことでしょう。ですからあまり取り調べもせず、パウロとシラスを鞭打ち投獄してしまいました。しかし、パウロとシラスは牢屋の中で祈りと賛美をしていました。不慣れな土地、しかも神様の導きだと信じて到着した土地で捕らえられるなど、不満が爆発してもおかしくないのに、二人は静に祈り、賛美をするのです。パウロたちは、投げやりで祈っていたのではありません。二人は、牢屋の中で主イエス様の臨在に満たされ、神様を見上げ全てを神様に委ねて、主の御わざ、御心を信じて祈り、賛美したのです。
私たちは、パウロと同じような苦しみ迫害に会う事は少ないかもしれません。けれども私たちは、理不尽と思えるような事や多くの問題や困難に直面することがあります。そのような中にあって、パウロとシラスの姿は、私たちに大切な事を教えています。それは、私たちは、いつでも、どのような状況でも主イエス様を信じて祈り、賛美することが出来るという事です。神様は、神様の導きを信じ、信頼し祈り、主の御名を呼び求めて賛美する者を決して見捨てることはしません。
パウロとシラスが祈りと賛美を続けていると何が起こったでしょうか。突然大きな地震が起こり、牢屋を壊し、パウロとシラスをはじめ囚人たちは、解放されました。全員が自由にされましたが、囚人たちが逃げることはありませんでした。おそらく、パウロたちの姿に心打たれたのでしょう。看守は事の重大さを知って自害しようとしますが、パウロがそれを静止します。看守は、奇跡的な事柄を目の前にして、「先生方。救われるためには、何をしなければなりませんか。」と質問しました。看守は、どのような心境で救いを求めたのかは、明らかではありません。しかし、パウロたちの答えは、看守の要求を満たすものでした。パウロたちは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。(31)」と最も必要な魂の救いを語りました。使徒16章31節を一緒に読みましょう。
看守は、パウロたちが伝えているイエス様の十字架の救いの福音を聞いていたのでしょうか。牢獄でのパウロたちの祈りと賛美を聞いて、心の準備が出来ていたのでしょうか。彼は、イエス様を信じたのです。「主イエスを信じなさい」という言葉は、「主イエスの上に自分を置く」と訳すことが出来ます。主イエスを信じるということは、イエス様の上に自らを置き、すべてをイエス様に委ねて、任せるという事なのです。
「そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」の部分は、直訳的には「そうすれば、あなたは救われます。あなたもまたあなたの家族も」となるのです。私たちは、イエス様の十字架の死と復活による救いの恵みを信じる時、罪を赦され救われます。そして私たちは、自分の人生をイエス様の導きに委ねて歩むことが出来るのです。パウロは、「あなたは」と言った後「あなたの家族も」と言いました。これは、自分が信じれば自然と家族がイエス様を信じるということでありません。もちろん家族一人一人が、神様に心を開き個人的な信仰告白をする必要があります。しかし神様は、私たちを導く救いのみわざが、私たちだけではなく、私たちから周りの人たち、特に私たちの家族に拡大していくのだという祝福の約束をしてくださっているのです。神様は、私たち一人ひとりを家族の救いのために用いてくださることを覚えて、神様の導きを信じて歩みましょう。
<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様が、私たちの人生にあって扉を開き確かに導いてくださることを感謝します。私たちは、神様の導きを信じて歩みます。どうぞ私たちの手を取り、進むべき道を示してください。
私たちは、イエス様の救いを信じて救いの恵みを与えていただきました。この救いの恵みは、私たちにとどまることなく、神様によって私たちから周りの家族は友だちに広がっていきます。神様、私たちの家族を救いに導いてください。私たちの友だちを救いに導いてください。私たちから救いの恵みが広がっていくために、私たちは神様の導きを信じて歩みます。神様、私たちを用いてください。
この祈りを私たちの救い主イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」
