2025年12月21日(日)クリスマス礼拝説教 マタイの福音書2章1-12節 「真心を込めた礼拝」
<子どもたちへ>
「Merry Christmas!(クリスマスおめでとう)」神様の恵みがありますように。今日は、クリスマス礼拝です。あと5日で12月25日を迎えます。皆は、クリスマスでは何が楽しみですか?「クリスマスケーキが食べられる」とか「クリスマスプレゼントが楽しみ」などいろいろあって、ワクワクしますね。素敵なクリスマスを迎えることが出来ますようにと祈ります。今日の午後には、子どもクリスマス会を行います。楽しく過ごすことが出来るように祈ります。
僕たちは、クリスマスをお祝いする時、一番大切なことを忘れないようにしましょう。それは、神様を礼拝するという事です。今日登場する東のほうから来た博士たちは、「ユダヤ人の王」としてお生まれになったイエス様を礼拝した人たちでした。
博士たちは、星を研究して、星の動きを見て色々なことを考える人たちでした。彼らは、ある時とても珍しい星を発見しました。「おい、あれはなんだ。とっても大きくてほかの星よりも輝いているぞ」「今まで見たことない星の出現だ。これは何を意味しているのだろうか?」「良い事の前兆か、それともこれから悪いことが起こるのか調べよう」博士たちは色々な書物を調べました。「分かったぞ。あの星はユダヤ人の新しい王が生まれたという知らせかもしれない。」「もしそうだとしたら、本当かどうか確かめなくてはいけないな。そして本当だったらお祝いしなければならない。」こうして博士たちは、1,000㎞以上離れたエルサレムへの旅を始めたのです。聖書には、「博士たち」と書いてあります。良く3人の博士たちと言われていますが、贈り物が3つだからです。実際には博士が何人だったのかは分かりません。
博士たちが向かったのは、エルサレムです。ユダヤ人の王ですから当然彼らは、王宮のあるエルサレムに向かいます。しかしエルサレムでは新しい王が生まれたようなお祝いムードはありません。そこで博士たちは、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」とヘロデ王に質問するのです。ヘロデ王としては、初耳の情報です。「そんな知らせは受けていないぞ、一体誰のことを言っているのか?もしかしたら、旧約聖書で預言されている救い主キリストの事だろうか」。ヘロデ王は、祭司長や律法学者を呼びました。そして救い主がどこで生まれるのか確認したのです。祭司長や律法学者たちは、旧約聖書をよく知っている人たちですから、「救い主は、ベツレヘムで生まれると預言者が語っていました。」とすぐに答えることが出来ました。救い主は、ベツレヘムでお生まれになるのです。とうとう救い主が生まれた場所が分かりました。ヘロデ王は、「救い主がいる正確な場所が分かったら知らせてもらいたい」と博士たちに伝えました。ヘロデが、救い主イエス様の居場所を知りたかったのは、礼拝するためではありません。救い主を抹殺してしまおうと考えたからでした。ヘロデ王は、ユダヤ人の王としての自分の地位を脅かす人は、誰であってもその存在が許せなかったのです。
「ベツレヘム」という貴重な情報を得た博士たちは、一路ベツレヘムに向かって出発です。すると東の国で見つけた星が、再び現れました。その星は、博士たちを導いたのです。そして幼子がいる家の上でとまりました。「おおーあの家の上でとまったぞ!」「あそこに救い主がおられる!」博士たちは、表現できない程の喜びに包まれました。この時、「家」とありますから、すでに家畜小屋ではなく、ヨセフとマリアは、家を借りて住んでいたことが分かります。博士たちは、さっそく家の中に入り、幼子の前にひれ伏し礼拝しました。そして用意しておいた「黄金」「乳香」「没薬」という高価な贈り物をささげました。
博士たちは、イエス様を礼拝するために最善の準備をしていました。博士たちは、自分たちの出来る心からの礼拝をささげたのです。
クリスマスを迎えている今日、皆の心には喜びがあるでしょうか。イエス様は、皆の罪が赦され、皆が神様の愛と恵みを受けられるようにお生まれくださった救い主です。イエス様は、皆に喜びと安心感を与えてくださいます。僕たちは、博士たちのように心から感謝し、イエス様を礼拝しましょう。
<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。救い主イエス様が、僕たちのためにお生まれくださったことをありがとうございます。僕たちは、感謝と喜びをもってイエス様を心から礼拝します。クリスマスの恵みを一人でも多くのお友だちに伝えることが出来るように導いてください。神様、今日の午後にある子どもクリスマス会を祝福してください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」
「母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」 マタイの福音書2章11節
<適用>
流星群(流れ星)は、一年を通じて何回か見ることが出来るようです。調べてみると、今年は夏だけではなく、4月や9月、10月などにも見ることが出来たようです。そして12月には、中旬ごろに「ふたご座流星群」を見ることが出来たようです。最大で一時間に60個もの流星が確認されたという事です。私は、見逃してしまいました。見ようと思っても、流星を見ることが出来るのは夜ですから、私は、眠気に負けていたことでしょう。見た人いるでしょうか。流星群(流れ星)を見ることが出来ると、何か特別な経験をしたという感じがしますよね。
イエス様がお生まれになった時、東方の博士たちが発見した星は、通常の星の動きではありませんでした。博士たちは、今までに見たことがない不思議な星に導かれていました。そして博士たちは、異邦人でありながら、救い主イエス様に対して真心を込めた礼拝をささげた人たちでした。
Ⅰ;イエス様を求めて
私たちは、ひたすら「イエス様を求めて」真心からの礼拝をささげましょう。イエス様誕生のあとしばらくして東方の博士たちがエルサレムにやって来ました。博士と訳されているギリシャ語には、「魔術師」と言う意味もあります。ですから彼らは、星を研究する天文学者であり、占星術をする人たちだったということです。彼らは、星を調べているうちに、非常に輝く星を発見しました。その星は、自然では考えられないような星でした。詳しく調べるとイスラエルの王がお生まれになることを知らせる星であることが判明しました。2節の「東のほうで」とあることから、博士たちは東の国の人、恐らく現在のアラビヤ地方(イランやイラク)であると思われます。この地方は、旧約時代にイスラエルの人々が捕囚の民として連れて行かれた地域にあたります。イスラエル人たちは、捕囚の地バビロンで救い主に関する神様の約束に心を向け、語り継いでいたのです。博士たちは、このことに関する資料を持っていて調べることが出来たのだと思います。そして預言の通りに、イスラエルの王が生まれたならば敬意を表し挨拶をしたいと考えたのです。もしかしたら、発見した星が、調べた通りイスラエルの王の誕生を知らせるものなのかを確認するための旅だったかもしれません。
けれども博士たちの行動は、単なる好奇心ではなく、「ユダヤ人の王」を求め、真心を込めて礼拝するための旅でした。博士たちがひたすらイエス様を求めていたのは、預言の言葉を信頼したことに表れていると思います。異邦人である博士たちが、神様の預言を信じ、信頼して、イエス様を求めて行動を起こすのです。しかも移動距離は、1,000km以上もあるのです。仮にラクダで旅をしたとしたら、単純に計算してスムーズに旅が出来て2ヶ月程かかります。博士たちがヘロデ王に謁見出来る身分であることから、博士たちはそれなりの地位のある人で、旅には多くのしもべを連れていたこと、荷物もたくさんあったのではないかと想像できます。彼らは、ユダヤ人の王が生まれたという確証があったのではありません。旅の期間の予測も出来なかったでしょう。星が人間を導くなど考えられないことです。博士たちにとっては、不確実な情報ばかりでしたが、彼らは、預言者を通して語られた神様の約束を信頼し、神様のわざとしか思えない不思議な星を追うのです。
私たちは、それぞれ教会に導かれた経緯があります。そこには、不思議な神様の導きがあったのではないでしょうか。初めて教会に来た時、2回、3回と続けて通うことを考えたでしょうか。ましてやクリスチャンになるなど想像も出来なかったことでしょう。私は、牧師の家庭に育ちました。日曜日は教会学校や礼拝に出ることは当たり前でした。その様な中、私は、何回か教会を抜け出して礼拝を休む計画を立てたことがありました。しかし何回試してもうまくいかず、親にバレたりするのです。当時は、何とかしてと思っていましたが、今振り返ると、神様が私を不思議な御手で守っておられたと思うのです。神様は、何とかして礼拝の大切さを私に知って欲しかったのだと思います。
東の博士たちは、救い主を求めて旅をつづけました。私たちは、どのような態度、どのような心で神様を礼拝するでしょうか。クリスマスを迎えている今、私たちは、真心から主を礼拝しましょう。そして私たちは、日々イエス様の臨在を求めて歩みましょう。
Ⅱ;喜びと感謝をもって
私たちは、「喜びと感謝をもって」真心を込めて主を礼拝しましょう。博士たちは、喜びと感謝をもって幼子イエス様を礼拝しました。
まず博士たちは、エルサレムに行きヘロデに謁見します。けれどもエルサレムも王宮も新しい王が生まれたという雰囲気ではありませんでした。博士たちの知らせを聞いて、ヘロデもエルサレムの人々も恐れ戸惑いました。そして誰もユダヤ人の王としてお生まれになったキリストを喜びませんでした。
ヘロデは、もちろん旧約の預言のことを知っていました。だから「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」と聞いて、すぐにそれが預言されていたキリストのことであると理解できました。けれどもヘロデにとっては、キリストは救い主ではなく、自分の立場を脅かす危険な存在でしかなかったのです。このヘロデ(ヘロデ大王)は、純粋なユダヤ人ではなく、ローマ政府によってユダヤ人の王として任命された人物です。彼は、エルサレム神殿を再建したり、地中海に面した場所に、カイザリアの港や半円形の劇場などを建設する手腕家でもありました。けれども反面残虐非道な王としても知られています。ヘロデ大王は、自分の王としての立場を守るために身内を殺害する程の悪王でした。ですから純粋なユダヤ人の王が生まれたとしたら、自分の立場は危うくなるのです。だからエルサレムの住民は、ヘロデ王が何をするか分からないので恐れ動揺したのです。
祭司長や律法学者たちは、ヘロデの問いにすぐ旧約聖書ミカ5章2節を引用して、キリストはベツレヘムで生まれると答えることが出来ました。祭司長たちは、旧約の預言の言葉を一番よく知っていて、神様の約束の成就を喜ぶべきなのですが、そうではありませんでした。彼らは、神様の言葉に関する知識を持っているだけで、神様の御言葉を信じることも、救い主を求めることもなく、無関心な態度を示しました。
博士たちは、救い主が生まれた場所がベツレヘムであることを聞いて、エルサレムを後にします。エルサレムからベツレヘムまでは、車だと15-20分で移動できる距離にあります。現在は、イエス様がお生まれになったとされる場所には、聖誕教会が建てられています。今年、3年ぶりに聖誕教会に巨大なクリスマスツリーが設置されました。イスラエルのガザ侵攻後、控えていた巨大なツリーです。イスラエルの国に平和があるように祈りましょう。
博士たちが救い主を訪ねてきた時には、ヨセフとマリア、そしてイエス様は一つの家に住んでいました。星は、博士たちをベツレヘムの一つの家に導いて行きました。その時、博士たちは、「この上もなく喜んだ」のです。その喜びようは、「躍り上がって喜ぶ(リビングバイブル)」とか「感激の喜びで身震いした(詳訳聖書)」と訳されています。ギリシャ語の聖書では、「この上もなく非常に喜んだ」と訳すことが出来ると思います。博士たちは、自分たちが発見した星が調べた通りイスラエルの王の誕生を告げるものであったという確証を得ることが出来ました。それ以上に彼らの心には、長い、長い旅の末、ようやくユダヤ人の王に会えるという喜びと感動があるのです。博士たちは、星が示す家に入り、母マリアと共にいる幼子イエス様に会うことが出来ました。そして彼らは、幼子イエス様の前に進み出て、ひれ伏して礼拝するのです。それだけではなく彼らは、用意しておいた黄金、乳香、没薬を贈り物として献げました。彼らは、自分たちが用意できる最高のささげ物をもって礼拝しています。このひれ伏し礼拝したと言う表現は、最敬礼ともいうべきもので、跪くだけではなく、頭を地につけて礼拝するスタイルです。地位のある学者が、一人の幼子にこれほどの敬意を払うのです。それほどの感激と喜びだったということです。そして博士たちは、救い主を前にして、自分は何者でもないというへりくだった心を持っていたことがわかります。
博士たちは、異教徒であり聖書のまことの神様から離れた人たちでした。しかし博士たちは、ユダヤ人の王、救い主に会えるという喜びと感謝に溢れてイエス様の前に進み出て真心を込めて礼拝しました。これは、神様の御前に進み出ることが許されていることへの純粋な喜びです。そしてこれが礼拝の時に必要な要素となります。私たちは、神様の愛を感謝し、躍り上がるほどの喜びをもって主を礼拝しましょう。
Ⅲ;私たちの心はどうでしょうか
私たちの礼拝は、真心を込めた礼拝となっているでしょうか。私たちは、クリスマスを迎えるとすぐに年末を迎えます。この一年の私たちの礼拝は、どうだったでしょうか。
私が高校生の時、国語の授業で「遠い(く)・近い(く)」で様々なことを表現するという、いわゆる「言葉遊び」をしたことがありました。例えば、「遠くて近い蕎麦屋さん」です。「蕎麦(そば)」を「側(そば)」とかけて、「近い蕎麦屋」と表現します。「近くてとおい、おもちゃ屋さん」。「おもちゃ」は、英語で「Toy(トイ)」です。等いろいろあります。
この表現を使うなら、ヘロデ王の心は、「遠くて遠い心」です。神様の御言葉から遠く、礼拝することからも遠いものでした。祭司長や律法学者たちの心は、「近くて遠い心」です。神様の御言葉には近くいましたが、心からの礼拝からは遠いものでした。博士たちの心は、「近くて近い心」となりました。神様の御言葉に近く、真心から礼拝することが出来ました。
では、私たちの心は、どのような状態でしょうか。私たちは、どのような礼拝を主にささげるでしょうか。
<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。博士たちは、救い主イエス様に対して真心からの礼拝をささげました。私たちもまた、イエス様の臨在を求め、感謝と喜びをもって、真心を込めた礼拝をささげます。神様、私たちの礼拝を祝福し、導いてください。
救い主イエス様の誕生を記念するクリスマスを感謝いたします。主の平和が世界中に行き届きますようにとお願いいたします。多くの人が救い主イエス様を信じ、救いを受けることが出来ますように。
いと高き所で栄光が神様にありますように。地の上に平和が御心にかなう人々にありますように。この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によってお祈ります。アーメン。」
