2026年1月25日(日)礼拝説教 エステル記6章1-14節 「全てが益となる」 説教者:赤松勇二師

2026年1月25日(日) エステル記6章1-14節 「全てが益となる」

<子どもたちへ>
 皆は、食事をしないで一日を過ごしたことがあるでしょうか。体調を崩して食事がとれないという事はあると思うけれど、元気なのに食事をしないというのは、大変ですよね。お腹がすいてしまって何か食べたくなります。
 ペルシア帝国の王妃となったエステルは、とても緊張しながら三日間を過ごしました。この三日間は、何のための三日間だったでしょうか。そう、断食のお祈りをする期間でしたね。ペルシアの都にいるユダヤ人たちもエステルと心を合わせてお祈りをしていました。エステルは、お祈りをしながら、クセルクセス王に会いに行く勇気と信仰を神様から与えられて立ち上がることが出来ました。

 エステルは、王に呼ばれたわけではありませんでしたが、クセルクセス王に会いに行きました。王様が機嫌を悪くするとエステルは、処罰を受けることとなります。どうなったでしょうか。王様は、中庭にいるエステルを見た時、喜んで手に持っていた金の笏を差し伸ばしてくれたのです。クセルクセス王は、エステルが何かを求めに来たと思い、「どうしたんだい、王妃エステル、何か願い事でもあるのか。王国の半分でも与えてやるよ。」と尋ねます。エステルは、「王様、今晩、パーティーを開きますので、大臣のハマンと一緒に来てください」と言います。このエステルの申し出に王様は、「そうか、それではハマンと一緒に出掛けることにしよう」と答えました。誘われたハマンも大喜びです。クセルクセス王とハマンは、上機嫌でパーティーを楽しみました。クセルクセス王は、パーティーの中で「何か願い事でもあるのか、国の半分でも与えることが出来るのだけれど」と聞きました。エステルは、神様に祈りながら、神様からの知恵をいただいて計画を考えていたのです。そこで、エステルは、「王様、明日もパーティーを開くので、よろしければもう一度ハマンと一緒に来てください。詳しい事は明日お話しさせていただきます」と答えました。

 さて、パーティーを終えたハマンは、「あー、とても素晴らしいパーティーだった。王様以外には自分だけが招かれた、こんなに嬉しい事はない」と自分が特別扱いされていることを喜び、意気揚々と自宅に帰ります。しかし、王の門にいるモルデカイは、やはりハマンを拝みません。ハマンは、「モルデカイの奴は、どうしても頭を下げないな、もう我慢の限界だ」怒り心頭です。その夜ハマンは、モルデカイを処刑する計画を立てました。(14)。
 さて、エステルは予定通りに2回目のパーティーを開き王様とハマンがやって来ました。この時、エステルは、「王様、私の民族が滅ぼされようとしています。私は、とても悲しくて、何とかして王様に助けてもらいたいのです。」と訴えました。クセルクセス王は、「そんなことを計画して実行しようとしているのはどこの誰だ」と激怒しました。エステルは、「このような計画を立てたのは、このハマンです。」とハマンを指さします。王様の怒りは、ピークに達しました。そして震えあがっているハマンに対して、王様は処刑を言い渡します。

 これで全てが終ったわけではありません。ハマンが王の名前で出したユダヤ人の虐殺命令は、王様であっても取消すことが出来ないのです。エステルとモルデカイは、クセルクセス王の許可を受けて、ユダヤ人が対抗して戦い、反撃しても良いという新しい命令を出しました。周りの人たちもユダヤ人たちに協力して守ってくれたのです。こうしてユダヤ人たちは、守られ勝利を得ることが出来ました。
 今週の聖句を読みましょう。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」ローマ人への手紙8章28節。神様は、神様を信じて、心から従い、神様を礼拝する人を必ず守り、助けて導いてくださいます。

<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。エステルは、神様を信じてお祈りをして神様から知恵をいただいて行動をすることが出来ました。神様は、エステルの抱える問題のすべてをちゃんと導き助けてくださいました。
 神様は、今も僕たちを助けてくださることを信じます。僕たちは、神様を信じて歩みます。この祈りをイエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」
                                ローマ人への手紙8章28節

<適用>
 今から40年以上前のことになりますが、私が子どものころ、日曜日の夜に「世界名作劇場」というアニメ番組がありました。覚えている人もいるのではないでしょうか。「トムソーヤの冒険」、「小公女セーラ」、「赤毛のアン」、「ラスカル」などのアニメが放送されたと記憶しています。その中に「愛少女ポリアンナ物語」というものがありました。主人公のポリアンナは、牧師の娘です。私は、このアニメを通して新約聖書に「愛」という言葉が300回以上使われていることを知りました。牧師の娘のポリアンナは、幼くして両親を亡くします。苦労して成長するポリアンナですが、牧師であったお父さんの「良かった探し」を心の支えとして生きていきます。彼女は、悲しい事、辛い事があると父親から教わった「良かった探し」をするのです。その事を繰り返していくうちに、ポリアンナは、辛いことが続くような毎日でも、何か良かったと思えることが一つや二つはある事に気づくのです。そしてこの「良かった探し」がポリアンナの周りの人たちの心を励まし、力づけることとなるのです。
 それは、まさに一人ひとりの人生の背後に神様がおられ、全ての事を益としてくださるからです。エステル記も「全ての事が益となる」ことを教えています。

Ⅰ;神様のご計画がある

 私たちの人生は、神様によって全てが益となります。神様は、私たち一人ひとりに対してご計画を持っておられます。
 ハマンは、モルデカイを憎むあまり、モルデカイ一人ではなく、モルデカイの民族を滅亡させるという残忍な計画を実行に移します。クセルクセス王は、ハマンを重んじ、首長たちのだれよりも上に立つ者としました。これは、ハマンが、ペルシアの国でナンバー2になった事を意味しています。ハマンは、自分が王に認められ、王の指輪まで預かるようになったことで、高慢になり、誰もが自分を恐れひれ伏すと考えていました。それだけ自分は昇進し偉い人物になったと言うのがハマンの心の中の思いです。ですからエステルが、宴会を開き、クセルクセス王とハマンだけを招待した時のハマンの気持ちを想像することが出来るのではないでしょうか。ハマンは、どれほど上機嫌でその夜を迎えた事でしょうか。「ハマンはその日、喜び上機嫌で去って行った(エステル記5章9節)」。
 上機嫌で帰るハマンに対して、誰もが頭を下げひれ伏します。しかし、王の門にいるモルデカイは決してひれ伏し礼拝することはしませんでした。ハマンは、「王妃エステルに招待されるほどの自分なのに、モルデカイはひれ伏すことをしない。何という不届き者か」と、モルデカイの不愉快な態度に我慢の限界を迎えます。その夜、ハマンは自分の妻と友人たちに自分の自慢話を聞かせ、モルデカイの態度には我慢が出来ないと伝えます。すると集まっていた人たちは、モルデカイを処刑するようにと言う助言を与え、ハマンはモルデカイを処刑する計画を立て、早速準備をします。

 一方クセルクセス王は、どうしたでしょうか。今日の聖書箇所です。クセルクセス王は、エステルの宴会から帰っても、その夜は寝ることが出来ませんでした。「眠れなかった」と言うのは「眠気が逃げて行った」という意味があります。王は、エステルの宴会が嬉しく、気持ちが高揚していたのでしょうか。理由は分かりませんが、クセルクセス王は眠気を紛らわせようと、自分の記録の書を読ませます。年代記の朗読を聞けば去って行った眠気がやって来るということでしょうか。しかし、この朗読がさらに王の目を覚ましてしまいます。何と王の門にいるモルデカイはクセルクセス王の暗殺計画を察知して、王の命を救ったとあったのです。これは、エステル記2章21-23節の出来事です。記録の書ですから出来事が書かれているのは当然です。また、功労者がいればその者に対して王がどれほどの事をしたのかという事も記録されているはずでした。けれどもモルデカイに関しては、クセルクセス王の命を救ったという事実が書いてあるだけでした。クセルクセス王は、モルデカイに何も褒美が与えられていないことを知り、それでは王としての威厳が保てないと、すぐにでも褒美を与えるべきだと考えたのです。クセルクセス王が、そのことを思い巡らしているうちに夜が明けました。

 そこにハマンがやって来ます。何のためかというと、モルデカイを処刑する許可を得るためです。クセルクセス王は、ハマンを見るや「王が栄誉を与えようと思う者には何をしたら良いか」とその晩に考えていたことへの助言を求めました。ハマンは、すぐに「王が栄誉を与えたいと思う者、それは自分以外にいないのではないか」と考えます。そして自分が受けたい王の褒美を思いつくままに伝えました。「その者に王の服を着せ、王の馬に王冠をつけ、その者を王の馬に乗せ、貴族である首長に馬を引かせるのです。そして広場に連れて行き、『王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである』とふれまわるのです。」ハマンは、発言の中で「王」と言うことばを何度も使っています。それは、ハマンが王位を狙っていたのではないかとも受け取れるのではないでしょうか。ハマンは、自分こそ王から栄誉を受けるべき者だと思い込んでいますから、ニヤニヤしならが王に進言したのではないでしょうか。ですからクセルクセス王の返答にハマンはびっくりし、耳を疑ったことでしょう。クセルクセス王は、今言った通りのことを王の門にいるモルデカイにするように、一つも怠ってはいけないという命令をハマンに出しました。ハマンは、モルデカイを処刑するどころから、モルデカイに王の褒美を与える役目を担う事になってしまいました。

 ここから大どんでん返しが始まります。しかもこの大逆転は、エステルやモルデカイの人間的な計画ではなく、神様の御手の働きです。エステルは、3日間の断食の祈りを通して、どのようにして王様に会うべきか、どのようにユダヤ人の窮地を伝えることが出来るのか神様から知恵を求めたでしょう。その結果、宴会を開くという方法を思いつき、2回目に真相を話すことにしたのです。その間に神様は、クセルクセス王の心に御手を伸ばし、記録の書を読むようにしたのです。エステル記2章にモルデカイがクセルクセス王の命を救ったことが挿入されていましたが、それは神様がこの時のために備えていたご計画です。確かに神様は、エステルやモルデカイの背後におられご計画をもって導いておられました。
 神様の御手は、私たちの目には見えませんが、確かに背後にあるのです。神様は、私たちの人生に計画を持っておられます。その神様のご計画は、全てが益となるものです。私たちは、信じて神様を見上げましょう。

Ⅱ;神に従う時

 私たちが神様に従って歩むとき、私たちの人生は神様によって全てが益となります。
 エステル記には、「神」という言葉がないだけではなく、信仰に関する表現はありません。唯一「断食」と言う言葉があるだけです。けれども、私たちは、モルデカイが主なる神様を信じて信頼していたことを確かに知ることが出来ます。そしてエステルが、主なる神の導きを確信して、王妃の立場が与えられているという信仰に立ったことを知ることが出来ます。それだけではなく、神様は、クセルクセス王にも御手を伸ばしてくださり、王の心を導いておられたことを知るのです。今日はエステル記6章を開きましたが、是非7章以降もお読みください。

 クセルクセス王は、ハマンとモルデカイの間の軋轢を知るよしもありません。ハマンがモルデカイに褒美を与える役目を押し付けられ面目丸つぶれになって嘆いている時に王の宦官が迎えに来ました。王妃エステルの宴会に出席するためです。ハマンは、これ以上ない恥をかき、失意のうちにエステルの宴会に出なくてはなりません。この時王妃エステルは、自分と自分の民族を滅ぼす計画を立てている人物がいることを王に告げました。そしてその人物こそ、悪人ハマンだと告げました。王は、怒りのあまりハマンの顔を見たくなかったのでしょう。その場を出ていきました。するとハマンは、王妃エステルに命乞いをするためにエステルの椅子にひれ伏しました。丁度その時王が戻って来て、エステルに襲いかかるような形になっているハマンを見て、処刑が告げられました。ハマンは、ユダヤ人モルデカイを処刑するために立てた柱につけられてしまいました。
 これで一件落着ではありません。クセルクセス王の名で出された法令は取り消すことが出来ませんので、新しい法令を出してユダヤ人たちを守る必要がありました。クセルクセス王は、モルデカイとエステルに全権を与えます。二人は、王の名前でペルシアにいるユダヤ人たちが自衛手段を取り、身を守り、敵を攻撃出来ると言う命令が出しました。こうしてユダヤ人たちは、絶体絶命のピンチから一転して、大勝利となったのです。この事を記念してユダヤ人たちは、「プリムの祭り」を今でも大切な祝日として守っています。

 今週の聖句をご一緒に読みましょう。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」ローマ人への手紙8章28節。
 神を愛する人々とは、神様を信じ、神様を礼拝し、神様を喜び、主なる神様を心から信頼する人々です。神様は、そのようにご自分を信じ信頼する者を見捨てることをせず、全ての事を益としてくださるのです。しかも「すべてのことがともに働いて」です。神様が、私たち一人ひとりの人生の全ての事柄にかかわってくださるということなのです。皆さんは、その事を信じているでしょうか。

 旧約聖書でも同じような事が約束されています。詩篇1篇です。「幸いなことよ 悪しき者のはかりごとに歩まず 罪人の道に立たず 嘲る者の座に着かない人。主のおしえを喜びとし 昼も夜も そのおしえを口ずさむ人。その人は 流れのほとりに植えらえた木 時が来ると実を結び その葉は枯れず そのなすことすべて栄える。(1‐3)」
 礼拝の中で「主の教えを喜びとし」と言う賛美を歌いました。詩篇1篇1-3節の御言葉にメロディーが付けられた賛美です。「なすことはすべて栄える」というのは、何でも自分の好きなようになると言うことではありません。神様が、私たちの人生の全ての面で働かれ、責任をもって導いてくださるという約束です。私たちの人生が神様によって彩られていくという事なのです。
 詩篇1篇は、「悪しき者は そうではない」と続きます。悪しき者は、神様を信じないで、御言葉を心に留めることをせず、礼拝も賛美もしない人です。そのような人は「風が吹き飛ばす籾殻だ。…悪しき者の道は滅び去る(4‐6)」のです。まさに、ハマンがそのような最後を迎えることとなりました。

皆さん、私たちは、私たちの背後におられ、確かに導いておられる神様の導きを知ることが出来ているでしょうか。私たちの人生の全てを益としてくださる、天地創造の主なる神様の御力を見ているでしょうか。私たちは、神様のなさること、神様の導き、神様の祝福に対して心の目を開き、敏感に受取って歩みましょう。
 神様は、私たちの人生の全ての事を働かせて益としてくださるのです。何も良いことがないと思える事柄の中にも、神様は御手をさし伸ばしてくださり、支え導いてくださるのです。そのことを信じますか。私たちは、神様を信じて、全てのことをお任せすることが出来きます。

<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様は、全ての事を働かせて益としてくださるお方です。私たちは、そのことを信じて歩みます。神様の御手のうちに私たちを導いてください。そして私たちが、神様のみわざをしっかり見て、受け取って歩めるように信仰の目を開いてください。
 この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」