2026年2月8日(日)礼拝説教 ネヘミヤ記2章9-20節 「困難に直面するとき」
<子どもたちへ>
旧約聖書のお話は今日で一区切りになります。来週の水曜日から受難節(レント)に入りますので、次からは新約聖書のお話になります。今日も先週に引き続き、この人のお話をします。覚えていますか?そう、ネヘミヤさんです。打ち壊されたままのふるさとエルサレムの城壁(町を囲むかべ)を立て直すため、王様の許可を得てユダの国に戻ってきたのですね。
ネヘミヤはエルサレムの様子を見て回りました。聞いていた通り、町を守る壁はボロボロで、門も黒こげです。昔の戦争でやられたままでした。「これはひどい…。」立て直すのはとても大変そうでした。
ネヘミヤは人々を集めて言いました。「みなさん、城壁と門を立て直しましょう。神様が助けて下さいます。ペルシャの王様も応援してくれています。」エルサレムの人々は勇気づけられて、「さあ、立てなおしましょう!」と答えました。
ところが良い働きが始まると決まってじゃまが入ります。エルサレムのあたりを勝手に利用していた外国人たちは、壁がきれいに建て直されてユダヤ人が強くなるのが気にいりません。それで工事する人たちをからかって意地悪を始めました。「あんな壁などみすぼらしくて、狐が一匹上っただけで崩れてしまうよ。」自信をなくさせて工事をやめさせようとしたのです。でもネヘミヤは神様にお祈りして、やめることなく工事を進めました。更に、邪魔する人たちは暴力で邪魔しようとしましたが、交替で見張りをして工事を続けました。ネヘミヤは「神様が私たちを守って下さる」と言ってみんなを励ましました。
工事を始めて52日目に、城壁が完成しました。邪魔していた人たちは「こんなに早く工事が終わったのか!」とびっくりしてしまいました。中には感心して「ユダヤ人の神様がこの大仕事を完成させられたのだ」と言う人もいました。ネヘミヤは感謝の礼拝を開いて心から喜びあったということです。
皆さん、神様はいつもネヘミヤのお祈りを聞いて助けて下さいましたね。ネヘミヤのように、どんなことでも神様にお祈りして進めていくことが大切です。うまくいかない事もあります。そういう時にもあきらめないで、神様の助けと導きをお祈りしながら歩んで行きましょう。今日のみことばを読みましょう。大変なことは次々おきますが、お祈りして神様とともに乗り越えて行きましょうね。
<祈り>
「神様、ネヘミヤたちの良い仕事が何度も邪魔されて、大変な思いをしたお話を聞きました。私たちも、良いことをしたはずなのに大変な目にあうことがあります。そんな時、ネヘミヤのようにお祈りしますから、私たちを守って助けて下さい。神様が味方になって成し遂げて下さることを思い出せますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン」
「天の神ご自身が私たちを成功させてくださる。」 ネヘミヤ2章20節
<適用>
人生には、自分が大事にしてきたものが音を立てて崩れていくような出来事があります。突然の災害、学校生活の行き詰まり、病気、仕事の失敗、お金の問題、人間関係など様々です。崩れてしまったその有様に、途方に暮れてしまうことがあります。先週から学んでいるネヘミヤも、そのように崩れてもとに戻りようがない祖国の瓦礫を前に、涙の祈りを捧げた人でした。そして涙に終わらせず、信仰によって再建に立ち上がったのでした。これは昔の時代の建築工事のお話ではありません。大切なものが崩れた時に、絶望で終わらせず立ち上がっていった信仰者の証です。そのような視点でネヘミヤ記を読めたら幸いです。
私たちが主にあって立ち上がろうとする時、様々な障害が起こることがあります。それは日常の些細な事柄から、神様のためのわざまでみな共通で、何の障害も起きない、ということはまずないのです。私たちは「御旨のままに生かしたまえ」という祈りの中で歩んでいるお互いですが、それでも困難はやってきます。困難や障害をどう受けとめ、どう乗り越えることができるのでしょうか。ご一緒に学んで参りましょう。
1.静まって信仰に立つ
ペルシャ王の献酌官ネヘミヤは、城壁再建のためエルサレムに帰還しました。この時の彼は、長期休暇で個人的に訪問したのではありませんでした。5:14を見ると、ユダの地の総督として任命され12年間その地位に留まったと記されています。高校の世界史でサトラップという言葉を聞いたかもしれませんが、総督とはこのサトラップにあたります。知事のような立場であり、外交や軍事においてもかなりの権限が与えられていました。2:9には「ユーフラテス川西方の総督たち」とありますが、この大きな区割りの中に複数の総督がいたものと思われます。ネヘミヤはそこに加えられたのです。ただし彼は、神様とエルサレムの栄光を望んで赴任したのであり、2:10「イスラエル人の益を求める者」としてその地に立ったのです。
ネヘミヤにおいて特筆すべきなのは、エルサレムの現実を信仰的な静まりの中に直視しようとしたことです。12節「ある夜、私は起きて出て行った。ほかに数人の者も一緒であった。しかし私は、私の神がエルサレムのためにさせようと私の心に示しておられることを、誰にも告げなかった。」神が自分に示しておられること、すなわちエルサレムを立て直して神の栄光を回復させることを、心の中心に据え続けていました。これがあったからこそ、続く視察で直面した悲惨な現実に打ちのめされずに済んだのではないでしょうか。
ネヘミヤの見た現実は悲惨でした。13節によれば、エルサレムの城壁は崩され、その門は焼き尽くされたままでした。14節では彼の通れる場所がない有様でした。長年このような状況に置かれたエルサレムとその住民には、絶望と諦めが蔓延していたことでしょう。
ネヘミヤのことばに目を留めましょう。17節「私たちが直面している困難は見ての通りだ。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままだ。さあ、エルサレムの城壁を築きなおし、もうこれ以上、屈辱を受けないようにしよう。」そして神の恵みを証し、王の勅許を告げてユダヤ人を励ますのです。この前向きさは驚くべきものです。「困難は見ての通りだ。だから諦めよう」ではないのです。困難の実態をつぶさに見て感じて、その上で彼はエルサレムの回復に向けて立ち上がることが出来たのです。それは静まって恵みの神を仰ぎ見ていたからではないでしょうか。
困難は私たちをうろたえさせ、混乱させ、時に絶望させるものです。しかし私たちは神様の回復を信じて立ち上がることが出来ます。困難の先に未来への希望を見出せるとするなら、それは神の恵みによるものです。私たちもネヘミヤのように主の前に静まりましょう。現状がいかに厳しくても、栄光の主がご自身のご栄光を現わして下さるように、しっかりと信仰に立とうではありませんか。
2.神にすべてを知っていただく
ネヘミヤたちの前に立ちはだかったのがサンバラテという人物です(2:19)。ネヘミヤ記において、サンバラテはユダヤ人の敵として描かれています。エステル記でいうハマンのような立ち位置の人物です。サマリヤに拠点を置くかなりの有力者であり、総督の一人であったとも考えられています(4:2)。エルサレムが再興してユダヤ人が力をつけると、彼らの利益に反する面があったと思われます。また、そこには「ペルシャ王に反逆するのではないか?」という偏見と悪意がありました。これは最も現実的なリスクでした。
ネヘミヤは反論しました。それが20節のみことばです。「天の神ご自身が私たちを成功させてくださる。それでそのしもべである私たちは、再建に取りかかっているのだ。」
3章では工事が順調に進んだ様子が記されています。しかし4章に入りますと、サンバラテの妨害が激しくなっています。彼はまず侮辱をもって城壁再建の士気を下げようとしました。4:3「彼らが築きなおしている城壁など、狐が一匹上っただけで、その石垣を崩してしまうだろう」。人は心が折れてしまうと何をなすことも出来なくなってしまいます。このひどい侮辱もそれを狙ったものでしょう。しかしネヘミヤはこの妨害をそのまま神に訴えました。彼は「お聞きください、私たちの神よ」と、嘲りの言葉そのものを神に告げ、お委ねしたのです(4節)。これは聞かれた神が共に怒って下さる、悪に対して力を持って立ち上がって下さる、という信頼に基づくものです。
祈る前からすべてをご存知の神様ですが、あえて神様の前に事柄を持ち出すことで、私たちの魂は落ち着きを取り戻します。詩篇62篇に「民よ。どんなときにも神に信頼せよ。あなた方の心を神の御前に注ぎ出せ。神はわれらの避け所である」とある通りです。困難に直面した時には主にすべてを祈りましょう。避け所なしに戦いの前線に立ち続けよ、とは神様は言われません。避け所に逃げ込み、絶対者なるお方に嘆願し、すべてを知って頂くことは私たちに許された大切な戦い方です。
ネヘミヤは祈りの人でした。長い祈り、短い祈り、さまざまな彼の祈りがネヘミヤ記に記されています。人生の中では、どうしていいか何を祈ったらいいかすら分からない時もあります。けれどもありのまま注ぎ出すようにして主に祈って良いのです。神様は私たちの味方でいて下さり、祈りを聞いて適切に立ち上がって下さいます。私たちの主は生きて働かれるお方です。この方に、困難を乗り越える力を頂いて参りましょう。
3.識別力を頂く
4章後半では武力による妨害の対処、5章にはユダヤ人社会内部の問題が出てきます。まさに内憂外患です。
内外の問題に適切に対処してきたネヘミヤですが、6章では個人攻撃を受け、その識別力が試されています。信仰者に揺さぶりをかけるのは、神の敵の常套手段でもあります。6:2「サンバラテとゲシェムは私のところに使いをよこして言った。『さあ、オノの平地のケフィリムで会見しよう。』彼らは私に危害を加えようと企んでいたのである。」こんな呼びかけが5回もなされました。そしてネヘミヤがペルシャ王に謀反を企んでいるという噂を流して、ネヘミヤを意気消沈させようとしたのです。更には祭司シェマヤを買収します。10節ではシェマヤが言います。「神の宮、神殿の中で会い、神殿の戸を閉じておこう。彼らがあなたを殺しにやって来るから。きっと夜分に殺しにやって来る。」
これは暗殺から逃れるための一つの方法でしょう。しかし、祭司でもレビ人でもないネヘミヤが神殿奥深くに潜むのは、冒涜にあたります。この誘惑に引っかかってしまえば、ネヘミヤは霊的指導者としての信頼を失ってしまうことでしょう。しかしネヘミヤは判断力のある人でした。神さまもその判断を守ってくださいました。6:11~12を読みましょう。「『わたしのような者が逃げてよいものか。私のような者で、だれが神殿に入って生き続けるだろうか。私は入らない。』私には分かった。今、彼を遣わしたのは、神ではないと。」
私たちは、困難な場面でこそ識別力が必要になります。「この人を遣わしたのは神だろうか?」「このことばは神が語らせ給うたものだろうか?」と問う必要があり、神の知恵が必要なのです。
ネヘミヤがこの時わなにかからなかったのは、神のみことばから知識を得ていたからです。みことばを学ぶ中で、彼はこの危機を正しく識別して乗り越えたのです。私たちも日常の中で、継続してみことばを学び続けようではありませんか。その地道な営みが私たちの識別力を養い、困難や危機を乗り越える力を与えてくれるのです。
城壁再建は様々な困難に直面しながらも、52日間の工事をもって完成しました(6:15)。これは驚くべきことです。というのは、捕囚のユダヤ人たちが最初にエルサレムへの帰還がゆるされてから、既に100年近く経過していたからです。もちろん神の民は城壁再建に取り組み基礎が作られるところまでは行きました。しかし謀反の疑いをかけられ実力をもって中止させられた、とエズラ記4章に記されています。長らく再建がかなわなかった城壁が、52日で建て上げられたのは、神の恵みの勝利であり、ネヘミヤの信仰の勝利でもありました。
神様は人を介してことを為すことを良しとなさいます。この時も、神が降りて来られてある日突然城壁が出現、ということではありませんでした。ですから困難に直面するとき、私たち自身を主に支えて頂くことが必要なのです。静まって信仰にたち、すべてを祈りのうちに神に知って頂きましょう。またみことばに聞くことで識別力を頂き、事に当たらせて頂きましょう。困難に直面する時、神様が恵みのわざを進めて成功させて下さることを信じて、くじけず乗り越えさせていただきましょう。
<祈り>
「神様、御名を賛美します。ネヘミヤ記から、困難に直面する時どうしたら良いのか学ばせて下さりありがとうございます。私たちの人生に神の敵の妨害が潜むことを改めて覚えます。ネヘミヤのように、静まって信仰に立つことが出来ますように。また祈りを通してあなたの避け所にかくまい、魂に落ち着きを与えて下さい。みことばに基づく識別力を増し加えて下さいまして、常にあなたと共に歩むことが出来ますようにお導き下さい。御名によってお祈りします。アーメン。」
