2024年9月1日(日)礼拝説教 出エジプト記14章1-16節 「雲の柱 火の柱」 説教者:赤松勇二師

<子どもたちへ>
 皆は、家族旅行をしたことがあるでしょうか。時には、家族みんなでどこに行こうか、何をしようか、などと話し合って旅行の計画を立てるかもしれませんね。今年の夏休みは、どうでしたか?明日から二学期が始まりますね。二学期も神様の恵みと励ましがあるようにと祈ります。

 先週のお話を覚えていますか?モーセがエジプトの王様に、「イスラエル人たちをエジプトから解放してください」と頼んだのでしたね。エジプトの王様はそれを許さず、エジプトでは9つものわざわいが起きました。それは、神様がエジプトへの警告として行っていたことでした。それでもエジプトの王様はイスラエルの人たちがエジプトを出ていくのを許しませんでした。とうとう最後のわざわいとして、エジプト中の長男(一番上のお兄さん)が打たれるということが行われました。でもこの時、神様がお命じになった子羊の血を門柱と鴨井に塗った家は、わざわいが過ぎ越していったのです。こうしてエジプトの王様は、「イスラエル人は、すぐにエジプトから出ていけ!!」と命じました。

 「さあ、みんな急いで出発の準備をしましょう。すぐにでも出発しましょう。」モーセの号令がかかりました。イスラエルの人たちは、エジプトからの解放を願っていましたが、突然の出発のために計画を立てることが出来ず、慌てて準備をしています。そして皆で「さあ、出発だ、やっとエジプトから解放される時がやって来た。神様、ありがとうございます。」と大声で叫びながら、大喜びで出発しました。イスラエルの人たちは、モーセを先頭にして出発しましたが、どの道を通っていくのかは分かりませんでした。神様がモーセにこの道を進みなさいと教えてくれるのです。人々は、モーセに言われるままに歩いていきます。この時の人数は、大人の男性だけで60万人です(出エジプト12:37)。子どもや女性などを含めると100万人以上となるでしょうか。全員がエジプトを脱出するのはとても大変なことでしたが、神様は、昼間は雲の柱、夜は火の柱によって、進むべき道を示してくださいました。
 イスラエルの人たちが紅海という海辺に来た時です。後ろのほうで土ぼこりが立ち上っています。「わぁー、エジプト軍が追いかけて来たぞ。なんてことだ、逃げる場所などないじゃないか。」「モーセは、なんでこんなところに連れて来たんだ。俺たちを滅ぼすためか」とみんな一斉にモーセに文句を言い始めました。

 エジプトの王様は、イスラエル人たちがエジプトを出て行ったあと、「奴隷にしていたイスラエル人を開放するなんて、なんて愚かなことをしたのか。追いかけて行って捕まえて、また奴隷にしよう。」と言って、エジプト軍を全軍連れて追いかけたのです。戦う準備など出来ていないイスラエルの人たちは、ビックリするだけで、どうすることも出来ません。モーセは、イスラエルの人たちを力づけます。その時の言葉が今週の聖句です。一緒に読みましょう。「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。」(出エジプト14章13節)。神様は、イスラエルの人たちの後ろに移り、エジプト軍が近づかないようにしてくれました。神様がモーセに言います。「あなたの持っている杖を海の上に差し出しなさい。すると海が分かれてあなたがたは乾いたところを渡ることが出来ます。」モーセは、神様に言われた通りのことをしました。するとどうでしょうか。目の前の海が左右に分かれていくではありませんか。「さぁ、急いで海を渡りなさい!!」モーセが叫びます。「神様が海を分けてくれた。神様が道を用意してくれた。」と人々が口々に神様を賛美しながら進みます。「大きな石に気を付けて、転ばないように気を付けてね。」みんなで声をかけあいながら進みます。中には、おじいさんやおばあさんに手を貸して一緒に歩いていく人もいたことでしょう。今日の礼拝は、「敬老」をお祝いするものでもあります。人生の先輩であり、皆のことをいつも心配してくれる、おじいさんやおばあさんへの感謝を表しましょう。

 さて、イスラエルの人たちが渡り終わった時に、エジプト軍が追いついて、そのまま海に入ってきます。神様は、エジプト軍が海の真ん中で身動きが取れないようにされました。そしてモーセがもう一度、杖を海の上に指し伸ばすと、海の水が一斉にもとにもどり、エジプト軍は、海の水に飲み込まれて全滅したのです。
 こうしてイスラエルの人たちは、神様が力あるみわざを行い、助け導いてくださる方であることを知りました。神様は、今も生きておられ、力あるみわざによって僕たちを助け導いてくださいます。僕たちがすることは、しっかりと神様を見上げ、神様の救いを信じて従うことです。神様は、皆のことをいつも見守っています。

<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様は、海を分けてイスラエルの人たちを渡らせる奇跡を行いました。今も神様は生きておられ、僕たちを守り導いてくださることを信じます。夏休みが終わり、二学期が始まります。神様、毎日の歩みを助け導いてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。」

「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。」                 出エジプト記14章13節

<適用>
 ずっと前の事になりますが、私は、川で鯉釣りをしている人を観察したことがあります。鯉を釣るためには、長い釣り竿に餌をつけて、糸をたらします。あとはひたすら鯉がかかるのを待つのです。餌が水に溶けだして鯉がその餌を食べにくるというのです。釣り人は、じっと待ちます。けれどもなかなか釣り上げることが出来ませんでした。近くで鯉が水面にジャンプするのを見る事が出来るのですが、なぜか釣り糸には引っかからないのです。それでも釣り人は、余計な事をせず、人間の気配を消すようにじっと待っていました。なんとなく人生の奥深さを垣間見たような気がしました。そして私は、神様のなさることを信仰を持って待ち望むことの大切さを教えてもらったような気がしました。
 モーセは、追いついてくるエジプト軍を見て慌てて大騒ぎするイスラエルの民に、「しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。」と言いました。主なる神様は、イスラエルを導くために、雲の柱、火の柱でご自身を示しておられました。この主なる神様の救いのみわざが行われるのです。

Ⅰ;離れることはない

 「雲の柱 火の柱」は、私たちを離れることはありません。イスラエルの民は、エジプトを脱出した後、いくつかの場所で宿営をしています。その場所は、神様によって示された場所だと思われます。神様は、「昼は、途上の彼らを導くため雲の柱の中に、また夜は、彼らを照らすため火の柱の中にいて、彼らの前を進まれ」ました(出エジプト13:21)。

 神様はこの時、約束の地カナン、現在のパレスチナにイスラエルの民を導くのに、最短な道を示しませんでした。エジプトからパレスチナに行くためには、地中海に沿って北上するのが一番の近道です。しかし、神様はその道ではなく、荒野の道にイスラエルを進ませました。それは、すでに地中海沿岸にはペリシテ人が定住していて、この地域を占領していたからです。そのまま北上するという事は、エジプトとペリシテの国境を通過するという事です。当然、エジプト側にはエジプトの防衛線があり、ペリシテ側にはペリシテの防衛線があり、厳重に警備されていたことでしょう。そこを通るとなると、イスラエルの民は、戦をしながら道を進むしかないのです。そうなったら、戦いの備えのないイスラエルの民は、力を失いエジプトに引き返すことになるでしょう。神様は、そのことを知っていて、遠回りの道であってもイスラエルの民が比較的安全に進むことが出来る荒野の道へと導くのです。

 この時から、神様の臨在がイスラエルの民の中に明かにされました。60万から100万、それ以上にもなる大軍勢が荒野の道を移動するのですから、最後尾にも分かるように巨大な目印が必要でした。神様は、それを昼は雲の柱、夜は火の柱によって示してくださいました。モーセが民の先頭を進みますが、神様ご自身がそのモーセの前に立って、イスラエルの進むべき道を示してくださったのです。この神様の臨在は、約束の地にイスラエルの民が入るまで、離れることはありませんでした(出エジプト40:38)。

 イスラエルの民を確かに導いておられた神様は、私たちの歩みのただ中にもおられます。イエス様は、助け主である聖霊なる神様が私たちと共にいると約束して下さました。聖霊なる神様は、父なる神様の御心を私たちに示し、私たちが御言葉に従って歩めるようにと私たちと共におられます。神様は、インマヌエルなるお方です。インマヌエルとは、「神が私たちとともにおられる(マタイ1:23)」という意味です。神様は、私たちから決して離れることなく、私たちの人生の進む道を確かに示してくださるのです。皆さんは、この神様の臨在を経験しておられることと思います。今日は、敬老礼拝として私たちは、人生の先輩であり信仰の先輩である方々への感謝と一人ひとりを救いに導いてくださった神様への感謝をもって礼拝しています。私たちは、皆さんが経験した神様の導きと恵みを聞きたいと思います。ぜひ、主の恵みを分かち合っていただけたらと思います。

Ⅱ;全方位を守る(詩篇34:7)

「雲の柱 火の柱」を示して、私たちを離れず導かれる主なる神様は、私たちの全方位を守るお方です。
 エジプトのファラオをはじめ家臣たちは、イスラエルの民が出て行ってしまったことで後悔しました。彼らは、モーセを通して行われた数々のわざわいを経験していました。そして最終的には、エジプト中の初子が打たれるという大きな痛手、悲しみを経験し、イスラエルの民には手を出してはいけないと知ったはずでした。けれどもイスラエルの民がいなくなることは、エジプトにとって国の労働力である奴隷を失い、経済的な大打撃を受けるのです。そこでファラオは、エジプトの全軍を率いてイスラエルを追いかけ、すぐに追いつくことが出来ました。エジプト軍の土ぼこりを見た時のイスラエルの民の驚きを想像することが出来るでしょうか。

 神様は、イスラエルの民を海辺に宿営させる時、エジプト軍が押し寄せてくること、エジプトの全軍を通して栄光を現すという計画を持っておられることをモーセに話していました(出エジ14:3-4)。モーセは、イスラエルの長老たちにもこのことを伝えたと思います。けれども彼らは、エジプト軍がすぐ側まで押し迫ってきた時に、モーセに対して文句を言い始めました(14:11-12)。それはまた、神様への不平不満でもありました。エジプトを脱出できた時、彼らは心の底から喜び、感激の涙を流しながら意気揚々を行進したのではないでしょうか。神様が雲の柱、火の柱によって導いてくれることを見て、本当に心強いと感じたのではないでしょうか。けれども、イスラエルの民は、迫りくるエジプト軍の土ぼこりを見、思いもよらない状況に直面した時、神様への信頼や感謝は一気に冷めてしまったのです。そして慌てふためき、モーセに対して「どうしてこんなことをしたのか?エジプトから出たいなんて言ったか?」と騒ぎ立てました。これに対してモーセは、「恐れてはいけない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい(13)。」とはっきりと告げました。

 私たちは、思いもよらない出来事に直面した時、大体二つの反応をするのではないでしょうか。一つは、イスラエルの民のような反応です。彼らは、「どうしてエジプトから連れ出したのか、エジプトにいたほうが良かったと」言うのです。イスラエルの民は、苦役の中で神様に叫び求めたのです。彼らは、神様が自分たちの祈りを聞いてくださり、モーセを遣わしてくださったこと知ったはずです。また、彼らは、神様がエジプトに対して数々の奇跡を行ったことを経験しました。そして何より、彼らは、神様の導きによってエジプトを脱出したという素晴らしい奇跡の中にいるのです。けれどもイスラエルの民は、神様がどれほど素晴らしいことをしてくださったのかをすっかり忘れ、神様の愛のわざを否定したのです。これがイスラエルの民の反応でした。

 もう一つの反応の仕方は、モーセの姿に表れています。モーセは、紅海とエジプト軍に挟まれるという、イスラエルの民と全く同じ状況の中にいます。しかもモーセ自身も神様がどのように救ってくださるのかを知らないのです。けれどもモーセは、「ファラオとその全軍勢によって栄光を現す(14:4)」と言う神様の言葉をそのまま信じていたのです。それだけではなく、モーセは、神様が数々の奇跡を通してご自身の力を示してくださったこと、神様がイスラエルの民を愛し守り、約束の地へ導いてくださることを信じて信頼していたのです。だから背水の陣で打つ手がない状態でもモーセは、13節のように「しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。」言うことが出来ました。モーセは、エジプトからイスラエルを脱出させてくださった神様は、今度も助けてくださると信じていたのです。モーセは、神様から眼を離さず、神様の力を信頼し、静かに主を待つことが出来ました。

 私たちは、どちらのタイプでしょうか。もしかしたら私たちは、逆境だと感じる時、八方塞がりの状況になったと思う時、神様につぶやいてしまうことがあるかもしれません。私たちのつぶやきは、過去の神様の恵みを忘れ、神様の愛を否定することになるかもしれないのです。ですから私たちは、「あの時神様は、励まし助けてくださった。今度も神様は導いてくださる」と神様の愛、神様の救いを信じる信仰に立ち続ける者でありたいと願います。神様の守りは、全方位型の守りです。「主の使いは、主を恐れる者の周りに陣を張り 彼らを助け出される」のです(詩篇34:7)。神様は、私たちを前から後ろから、そして左右から守り支えてくださるのです。

Ⅲ;主の救いの御手(主を知る)

 「雲の柱 火の柱」として私たちを導き、私たちの人生の全方位を守ってくださる神様は、私たちに救いの御手を指し伸ばしてくださいます。
 神様は、モーセに「なぜ、あなたはわたしに向かって叫ぶのか」と言われました。モーセの心も冷静さを失っていたということではないでしょうか。それも仕方のない事です。モーセ1人で60万人以上の群れを連れ出さなくてはいけないし、前は海、後ろはエジプト軍という、どう考えても逃げ道のない状況です。モーセも不安だったことでしょう。神様は、海を二つに分け、乾いたところをイスラエルの民が渡れるようにされました。

 神様は、イスラエルの民が歩いて海を渡れるようにご自身の臨在を示す雲をしんがりとされました。雲は暗闇となり、エジプト軍からイスラエルの民を隠します。こうしてイスラエルの民は、海の底の乾いた道を進んでいくことが出来ました(19-22)。エジプト軍も後を追って同じことをしようとしましたが、もう一度モーセが杖を伸ばすと左右の水が勢いよく元に戻りエジプト軍は水に飲み込まれてしまったのです。こんなことは、後にも先にも起きたことがありません。
 神様は、人の考えをはるかに越えた奇跡でイスラエルの民を救い出しました。それは、エジプトが主なる神様を知るためでした。また、イスラエルの民も主なる神様を知るためでした。イスラエルの民は、「主がエジプトに行われた、この大いなる御力を見た。それで民は主を恐れ、主とそのしもべモーセを信じた(31)」と言われています。

 今でも神様は、信じて従う私たちを確かな御手で支え、守り導かれるのです。私たちには道がないように思える時にも、神様は道を用意しておられるのです。モーセは、イスラエルの民に「主があなたがたのために戦われるのだ。あなたがたは、ただ黙っていなさい。(14)」と言っていました。この告白は、今でも真実です。私たちは、人生という道の途中で茨と思える道、試練と思える道など様々な事を経験します。私たちは、それを自力で何とか切り抜けようとするのではなく、私たちと共にいて戦い、道を切り開いてくださる神様を見上げることが出来るのです。主なる神様の救いの御手は、今も私たちに伸ばされています。私たちは、私たちを罪から救い、恵みを与え、祝福し、導いてくださる主を知っているでしょうか。
 雲の柱 火の柱によって示された神様の臨時は、私たちから決して離れることはありません。神様の守りは、私たちの人生の全方位を取り囲んでいます。そして神様は、救いの御手によって私たちを守り、導いてくださいます。私たちは毎日「今日、私のために行われる主の救いがある」と信じて告白し歩みましょう。

<祈り>
「愛する天の父なる神様、あなたの聖なる御名を賛美します。神様は、雲の柱・火の柱によってご自身の臨在を示し、イスラエルの民を導きました。神様の臨在は、今も私たちと共にあることを信じます。神様が私たちの人生の全方位を守り支えてくださることを心から感謝いたします。神様は、今まで私たちを励まし、助け導いてくださいました。私たちは、これからも神様が私たちと共にいて励まし、助け守りの御手を差し伸ばしてくださることを信じます。
 台風10号の影響が日本各地で被害が出ています。神様、どうか被災している地域に神様の慰めを注いでください。  この祈りを私たちの救い主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。